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凹む力士とおかめ(ベーゴマ考107)

日本玩具博物館

日本玩具博物館は
姫路は香寺にある。

私は大学時代美術系のゼミであり、
玩具を卒論にしていた仲間も多かった。
(私はその当時こども家具調べて作ってた)
いろんな玩具博物館とか企画展を回った。
あるとき、姫路の玩具博物館から岡山近代玩具博物館、鳥取のわらべ館をまわったこともあった。

それ以来
同じ兵庫なのにいけてへん。

ベーゴマの展示

日本玩具博物館には当然ベーゴマの展示があり、
素晴らしいものをおもちである。

その中で気になっていた写真がこれ
なんということだ。
面バイがこれほど揃ってるのは見たことがない

そこで、川口市郷土資料館の井出先生
と相談して、日本玩具博物館に問い合わせを行った。

そして、お返事があり、確認することができた

玩具博物館所蔵の面バイは
全10ヶ

力士…4
オカメ…2
のらくろ…2
崩れ顔…1
鉄兜…1

いままで「ひょっとこ」を複数個見る中や
「鉄兜」も顔がいくつかあり、
表情が異なることがわかっている

これだけの量があれば比較検証が進む

力士

玩具博物館の「力士」は4ヶ

力士を4つ並べてもらった写真がとてもわかりやすい。
下に白い紙をおき
サイズや方向などを考えて撮影していただいた
日本玩具博物館の尾崎様はじめ
スタッフの方の心遣いがありがたく、
また今後他にベーゴマの画像など
資料提示する際のマナーを垣間見た。
学びが大きい。

4つを比較して見てみると、
明らかに④が違う顔をしていることがわかる。
なんというか
しかめっつらというか
ぶちょっとしとる。
これは
明らかに、
力士の鋳造の型が異なり、複数個型があったことをしめしている。
また①②はにているが③は小ぶりな気がする。

力士の比較
01 31.0×27.9×15.2㎜ 
02 30.1×27.0×16.0㎜
03 29.8×26.2×11.2㎜
04 29.2×27.9×15.1㎜ ※


ちなみに
このころの横綱で似た人を探してみると
第29代横綱「宮城山福松」のお顔がこの04番に似ている。(私個人の感想です)
昭和二年に大阪相撲が解散して、東京と合併。
大日本相撲協会となるが「宮城山」は唯一大阪から移動して横綱になった力士である。
大阪でこの頃作られた面バイが
大阪相撲の最後の横綱の顔を彫ったのではないか
など想像が膨らむ

日本玩具博物館所蔵
日本玩具博物館所蔵
川口郷土資料館所蔵
金坂所蔵

おかめ

つぎにみてみたいのは
「おかめ」である
これも、大きさやふくよかさが異なる感じがする。
とくに6は顔がすこし平たい。
平たい顔族だ。

おかめの比較
05 29.5×29.2×17.1㎜
06 26.1×27.0×14.1㎜ ※

日本玩具博物館5
日本玩具博物館6

6がすこし平たいのは、湯(溶けた金属)があまり
入らなかったのかは不明

川口郷土資料館所蔵
金坂所蔵
愛媛岡本さん所蔵

写真の写りかもしれないが
金坂と岡本さんのものは同じ型にみえて、少しふくよか。
郷土資料館のものは玩具博物館のものと同じ型のような気がする。

ひけてるのではないか?

「力士」と「おかめ」の裏面は
なんの模様もなく平坦である。

私と郷土資料館の井出先生は
バリ(金属が流れてくる道の跡)があったことから
当然、鋳造の際に上下の型があるのもだと思っていた。…しかし同時に
なぜ、平らだから上型の必要がないのに
なぜ??
とも思っていたのだ

しかし

これは日本玩具博物館所蔵の力士の裏面の写真であるが
若干ではあるが、裏面が凹んでいる様子がみえる
これを鋳物職人は「ひける」と呼ぶ。

立体型の鉛メンコを作る際は
型に流し込んで作るが、その際に表面は凹む。

いぜんオークションででていたもの。ほしかった

これは泥メンコからの製造方法なので
泥メンコ→鉛メンコ→面バイ(力士・おかめ)
とても合点がいく。鉛メンコの凹みを見ていたため、金属の収縮率の違いをイメージしておらず、
面バイは上下の型の鋳造だと思っていたのだが
写真を見ると鉛のほうが、鋳鉄より融点が低い兼ね合いから凹むのではないだろうか。

日本玩具博物館5の裏面

そのため、パッと見は凹んでいないように見える面バイの「力士」と「オカメ」であるが、
今回複数個確認できたことで「ひけている」事実を発見できたことは大きい。

新たな疑問

上下型ではなく、下型のみで作った可能性があることは述べたが
新しい疑問がうまれる。

「なぜ複数の型を作ったのか」

である。
木型を一個作れば複製はできたはず
なのだ

鉛メンコの作り方は
①木彫りで元型を一つつくる
②それを粘土に押し付けて雌型(雌型)をつくる
③雌型を、焼いて形成
④出来上がった雌型に溶けた鉛をいれて作る

この作り方は
同じものはできるが
一つづつなので、数を作れない

そこで、「バリ」で繋げて湯道(溶けた金属の道)をつくり、一点に流し込んだらすべて流れるようにするのだ。
「面バイ」にはこのバリつまり湯道がある。

鋳物は、溶けた鋳鉄の温度が鉛より高いため
粘土などの型は焼けて崩壊すると思われる。
だから砂型鋳造なわけだ。
原型を1つ木を彫って作れば、1つ作ったものを外して他のところに押して複数をまとめた型をつくることはできなかったのか
顔の違いがあることは、すくなくとも複数個1セットの原型の木型をつくり、それを砂型に押し込む形で元型をつくったおもわれる。

面バイ(力士・オカメ)の作り方【推測】
①複数が葡萄のように連なった木型をつくる
(複数個別でバイの型をつくった可能性もある)
②砂型に木型を押し付け雌型をつくり押し固める
(個別型の場合は湯道(金属の流れる道)を掘る)
③木型を抜く
④湯道に流れるように溶けた金属を流す

どうしても、
ベーゴマの型というと
大きい型を思い浮かべるが
面バイの鋳造を、考えるに
湯道で繋がる3ヶや4ヶほどの
型だったのではないだろうか?

https://plaza.rakuten.co.jp/comonote/diary/201507270000/?scid=wi_blg_amp_diary_next#

こちらは「富本銭」のレプリカの型であるが
イメージはこれの片方だけ。

というか

ネットより。みんなやるやつ

これや。これこそ「オカメ」ではないか
この雪の顔面型に湯道つくった感じが
私の想像する「力士」「オカメ」型である。
このように、一つの葡萄状型でいろんな顔を一度に作ったと考えられるが

型が複数種類あった
と言うことは、
違う鋳造所で作られたのではないか
ということも考えられる。

作り方から見ても
「泥メンコ」
「鉛メンコ」
から
曲がらない、欠けない
「鋳物メンコ」が「バイゴマ」としても使えるようにこの時期過渡期につくられたとした場合。
新しい事業として
そんな儲かるかわからないへんてこりんなものに
複数の鋳物工場が乗ってくるだろうか。

リスクを考えても、量が少ないことからも
私は一つのところが
葡萄状の少数元型を使って鋳造した
との考察をした。

顔を変えたのは、木型職人の
遊び心か、プライドか
当時を考え思うとおもしろい。

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