第3回 蒙古襲来と幕府の衰退 その1
ⅰ)東アジアの変容
10世紀ごろから中国北方では遊牧民の活動が活発化した。東部内蒙古では契丹がおこって遼を建て、次いで満州では女真族が金を建国し、さらにその後にはモンゴル帝国が誕生した。彼らは優秀な製鉄技術と騎兵によって急速に勢力を拡大していった。
金は遼を滅ぼすと、その後南下して宋の都であった開封を占領した。宋はその後江南へと移り、南宋をたてた。平清盛が交易を行ったのは、この南宋である。日本は金・水銀・硫黄・木材・米・刀剣・漆器・扇などを輸出し、唐物と呼ばれた、陶磁器・絹織物・香料・薬品・書籍・銭などを輸入した。このうちの香料や薬品は東南アジアの産物が南宋を経由して輸入されたものである。またこの時に大量の宋銭が日本に流入したことで、日本各地に急速に貨幣経済が浸透していった。
文化面での日宋間交流も盛んだった。特筆すべきは禅僧の活動であり、日本からは栄西や道元など80数名が入宋し、蘭渓道隆など20数名が来日した。彼らは宗教のみならず大陸の様々な文化も日本に紹介し、朱子学(宋学)もこの頃に日本に伝えられた。またこの頃には自称入宋僧の重源や宋人の陳和卿によって東大寺大仏も再建された。