【僕たちは母を介護する】-50「強迫性障害」
「俺、車にドライブレコーダーをつけているけど、帰った後に何もなかったか、確認しないと怖いんだよ」
「それは何かぶつかったとかで?」
「いや、何もない」
「ん?運転していることは覚えているんだろう?」
「ちゃんと運転しているし、怖いから人が多い道は走らないようにしている」
「え?」
次男がそういう状況にあることは聞いていた。
そのため、御袋の最初の入院で面会に行くときから、ずーっと私の運転だった。
「商店街とかに行くときは、どうしているの?」
「子供が歩いている時間帯は行かない」
「早朝とか、夜間とかに?」
「うん、でも早朝とかも散歩している高齢者とかがいるから、そんなときは大きく避けるか、散歩している人が道を外れるまで追い抜かない」
「そっか・・・それは大変だな」
「あと、運転中は窓も開けて、音楽も消していないと走れない。外の音が聞こえないから」
そこまで徹底していたら、事故を起こす確率は少ない。というか、ゼロに近いのではないだろうか。
人がいないのだから。
ドライブレコーダーを後から確認する必要は全くない。
気を付けて運転している自分に対し、後からその運転を疑っているようだ。
これは・・・最近テレビでニュースになったものに似ている。
たしか芸能人が告白した症状だ。
私がそう思いつくと同時に、次男が
「強迫性障害に似たものかも」
と言った。
そうだ。強迫性障害。
確認行為や加害恐怖といった強迫行為を行う症状。
それ以外にもいろいろな行為があると聞いた。
心療内科で診察を受ければそう判断されるかもしれない。
私も何年か前に確認行為というものに悩まされたことがある。
ガスの元栓や家の鍵、エアコンやストーブ。
家を出る時に、しっかりチェックしたのに、運転して5分後にまた戻って確認することがあった。
私は、それを数か月繰り返し、ふと思った。
《俺は俺を信用していない》
数分前の私の行為を信用できず確認する今の私。
今の私は数分後の私に信用されないのだろうか。
そう思った時、過去の私の行動は大丈夫と信じることにした。
最初は戸惑い、それでも確認に戻ることもあった。
しかしそのたびに『(その時の)俺を信じろ』と、声に出した。
それを繰り返すうちに自分を信じられるようになり、ほとんどの事が気にならなくなった。
話を聞きながら、御袋の介護と話はずれたが、次男の精神状態を考慮する内容として、こう聞いてみた。
「手を出したりすることはないんだろう?」
「それはない」
と、はっきり言った。
私もそれはないだろうと思っていた。確証ではないが、次男の子供のころからの性格や現時点での状態を見てそう思った。言わば感だ。
そこで私は
「なら言いたいことは言ってもいいんじゃない?御袋もお前の物言いは良く知っている。いきなり優しい言葉遣いだと、逆に心配するかもよ」
実は先日、退院の話で御袋と面会した時、次男の物言いについて御袋に聞いていた。
次男は御袋が倒れてしばらくは参っていた。そして物言いも柔らかく感じだが、たぶん御袋が家に戻ったら、元の状態に戻ると思っていた。
「それで大丈夫か?」と御袋に聞くと、
「うん、大丈夫」と答えた。
「あの子はあんな子だから気にしない」
御袋がそう言うのでいいかと思った。
弟は話すだけ話したら少し落ち着いたようだ。
彼の気持ちもわかるが、現状ではどうしようもない。
弟もそれはわかっているようだ。
とりあえず御袋が帰ってくること、介護生活が始まること、もちろん私も協力することを伝え、話を終えた。