不登校2週間目。どんな時も子供は可愛い。
noteを開いて、先週書いた記事が投稿完了してないことに気づいた 笑
書いた時期は1週間違うけど連続投稿になる。
不登校スタートから10日ほど経った。
たった10日だけど、私自身の世界の見え方に少し変化があった。
私の変化はあっても、全く変わらないことが一つ。
子どもは可愛い。
子どもは子どもなりにちゃんと考えて選択している
次男に「学校どうする?」という質問は早々に辞めた。聞いたのは最初の2日だけ。
本人が今一番色々考えて、感じている時にわざわざどうするか聞くのはなんか変だなと思ったから。
本人が行こうと思った時は行動になるだろう。
次男の様子は明らかにエネルギー切れ。
だから動けなくなって、説明もできなくて涙に変わった。
中学校に入ってからの次男は私の目から見ても明らかにめちゃくちゃ頑張っていた。そんな風に学校のスタイルに合わせて頑張れる子だとは思っていなかったから驚きの連続だった。
ちょっとしんどいんじゃないかな?と思える時でも、「大丈夫?」と聞くとなに食わぬ顔で「うん」と答える。
そんなやり取りが多かった。
不登校になってからそんな次男の姿を思い出して反芻していたらハッと気づくものがあった。
平気な顔をするクセは母親の私だ
私はこれまで結構なハードモードな人生で。
だけど関わる人たちには「いつも元気で明るくて悩みなさそう!」と言われることが多かった。
結構しんどい時も、周囲には平気な顔で振る舞って、毎晩布団で泣くスタイルを何年も続けた。
心が壊れそうで限界だと思っても、どうしたら普通に生きられるのだろうと思っても、自分の苦しさを表現する方法も助けてもらう方法も分からずに、周りに気を遣って周りを困らせないように平気な顔をしていた。
話そうとしても泣きたくなるから、自分の苦しさがバレないようにいかに平気そうに振る舞えるかということが自分のステータスとプライドにもなっていた気がする。
次男と自分の姿が重なって、
あれ?これって今の次男じゃん?
何か話そうとすると涙がこぼれそうになる。そんな時が私にもよくある。
まさか自分と似てるとは。。。
次男は不思議くんで、どちらかと言うと夫に似てると思い込んでいた。
『次男は言葉で表現するのが苦手な子』
というラベルを貼って、割となんでも平気な強い子とさえ思っていたけど、
視点を変えたら、なんとか我慢して周囲に合わせている時の私だった。
あー、そっかぁ・・・。
と妙に納得し、改めてゆっくり次男を休ませてあげようと思った。
大丈夫なことを積み重ねたらいい
学校には行かないけど、外出することは拒まないので時々一緒に出かけている。
あとは、朝一緒に犬の散歩をしている。
朝一緒に散歩ができる
ご飯をしっかり食べる
ものすごく集中して絵を描いてる
なぜか習字には行く
何を思ってか突然日中犬の散歩に出かける
可愛いなぁ。
子供ってほんとにただただ可愛い。