わたしたちのなまえ
まだこの本が読めるほど、世界にはわずかな光がある。これから世界はもっと暗くなる。夜へと向かっていく。時はどんどん進んでいくしかないのだ。
「乙女の密告」赤染晶子
p.31より引用
赤染晶子「乙女の密告」を読む。
易しい文章だが、テーマが難しくてうまく感想が書けるか分からない。
でも、書いてみる。
インスタントのネスカフェゴールドブレンドをお供にする。
ものを書くときにいつも食べている野菜チップスもそばにおいておく。
「乙女の密告」
かわいらしいタイトルだ。
装幀もかわいらしい。
赤、グレーストライプ、水色の横線が規則正しく並んでいる。
ちょっと乙女たちの髪を飾るりぼんにも見える。
乙女。
乙女とは何だろう。
汚れを知らぬ若い女性、または、歳は関係なくそのような心持ちを忘れぬ女性…?
それとも、それは真実を知ることを嫌う匿名の集団にしか過ぎぬのだろうか。
噂を祈りのように唱え、真実から背を向ける集団…。
ホロコーストが奪ったのは人の命や財産だけではありません。名前です。一人一人の名前が奪われてしまいました。人々はもう『わたし』でいることが許されませんでした。代わりに、人々に付けられたのは『他者』というたったひとつの名前です。異質な存在は『他者』という名前のもとで、世界から疎外されたのです。
「乙女の密告」赤染晶子
p.110より引用
象徴、というのが昔から怖かった。
国の象徴、乙女の象徴、学校の、社会の、美しさの、醜さの、勤勉さの象徴。
それはある時は、
一輪の薔薇や菊
銅像
そして人間そのものであったりもする。
対象=象徴
という数式は絶対に成り立たせてはいけない筈であるのに、わたし達はいつも簡単にそれをしてしまう。
わたし達はわたし達で、個別の個性、個別の人生、オリジナルで流動的でたったひとりの『わたし』であるはずなのに。
アンネに対して世界が背負った罪は、彼女のなまえを奪った事だけでなく、あの戦争のあと、彼女を平和の象徴である一輪の薔薇のような存在として認識し広めてしまったことにあるのではないだろうか。
彼女は、それを望んだだろうか?
それは永遠に分からないのだ。
彼女自身の口からは聞くことができないのだから。
「あたしは身の潔白を証明したいねん。あたしは正真正銘の乙女やねん。乙女らしからぬことなんかしてへん。あたしは身の潔白を証明できる言葉に出会うのを待ってるねん。あたしを乙女やって証明してくれる言葉を待ってんねん。その日が来たら、みんなの前でその言葉を大きい声で言いたい。あたしは無実やって。あたしは乙女やって」
「乙女の密告」赤染晶子
p.94より引用
この台詞を読んだときに、嗚呼、これは、もしかすると、アンネがみんなに言いたかったことかもって思った。
アンネはずっと待ってくれているのに、わたしたちはぜんぜんアンネのための言葉を見つけてあげられていない。
だって、世界は暗くなる。もしかしたら本が読めなくなるほど、光を失うかもしれない。アンネの待つ言葉を見つけてあげなくちゃいけないのに。
とりあえずは今夜、ちゃんと晩ご飯を用意して食べなくちゃ。
それで、これからも書いたり歩いたり読んだりして、
アンネが【アンネ・マリー・フランク】という名前の、一人の少女に戻れる為の、言葉を探してあげなくては。
匿名の集団に埋もれた象徴としての何かなんかじゃなく、たったひとりのかけがえのない乙女に戻れるための言葉を。