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疲労困憊文学(コシンスキ、レーヴィ、ツェラン)

今朝から歯茎があり得ないくらい腫れあがって困っている。

仕方ない、疲れているのだ。
疲労は休んで治さなければならないが、
つい本を読んでしまう。

昨夜はコシンスキ「ペインティッド・バード」を読み終えた。
強烈な本だった。
わたしはライフワークとしてホロコースト文学をよく読むのだが、これは果たしてホロコースト文学と言えるのか。
たぶん、違う。
主人公が淡々と悪に染まっていくというか、人道などと言っていては生きてはいけないから、まさに何でもやって生きてゆくところなんかは「悪童日記」ぽくもあるのだが、あそこまで完成された作品でもなく…。ただ、不思議な魅力はあった。前半ものすごく面白いのに、後半から??ってなってきて、違う人が書いたんじゃないの疑惑もなんとなく頷ける。ただ、ホロコーストに関係することは未だにデリケートなものを孕んでいるので、あくまで作品のことを述べているのであってコシンスキ自身に降りかかったスキャンダルには全く興味関心がないことをはっきり申し述べておく。

バタイユ「有罪者」
ロール遺稿集
國分功一郎「スピノザの方法」
プリーモ・レーヴィ全詩集
泉鏡花「龍蜂集」

などを並行読みしている。

レーヴィはツェランをまったく評価していなかったそうである。
確かにツェランの詩は難解で読む側に知的なイマージュの喚起を要求する。
内向的で宗教的ですらある。
私も、ツェランの詩が、そこまで優れているとは実は思っていない。
しかし、ツェランの詩はツェランにしか書けないもので、全集まで買ってきて枕元に置いているのは、難解さに近付きたいという欲求があるから。そして、ツェランについては理解したいなどと端から思っていない。
理解することだけが、本を読むことではないし、むしろ、一冊の本を理解したと言い切ることの方が遥かに危険だ。

私は今日も痛む歯茎と、人への憎しみを抱えながら読書をする。

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なおむ
•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶