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ディズニーの好きなところを考える。

「いつからディズニーが好きだったの?」
友人からの問いかけに言葉を詰まらせた。

いつからか、なんて覚えていない。「物心がついた時には」という以外に言いようがないくらい、気が付けばディズニーが好きで、大好きな作品たちと一緒に育ってきた。
スタジオジブリも大好きだし、熱く語ってしまうことも少なくないけれど、それ以上に、数えきれないほど僕はディズニーに心揺さぶられてきたし、同じくらい何度も「好きだ」という気持ちを再確認してきた。
ディズニーが好きであることが自分の中であまりにも当たり前のことだったから、深掘りしてこなかったのかもしれない。もしくは、言語化出来ていると思い込んでいたのかも───
自分の「当たり前」こそ、良く知りたい。だから少しだけ自分の中のディズニーへの愛情を掘り返して、見つめ直してみたいと思った。

初めに心奪われた作品は『アラジン』だった。
それ以前もミッキーマウスが好きだったと思うし、ディズニーリゾートも好きだったと思うけれど、明確に「好き」だと記憶に焼き付いていたのは、後にディズニー黄金期と呼ばれるこの時代に放映された『アラジン』。
劇場公開後にVHSが発売されると両親は僕に買い与えたのだけれど、ふたりの想像以上に幼い僕の心を打ったようで、曰く、毎日毎日彼らがウンザリしてしまう程繰り返し観ていたらしい。
とにかく『アラジン』と登場人物のひとりである、ランプの魔人ジーニーがお気に入りだった。今でも彼は僕が一番愛するディズニーキャラクターで、スタジオジブリの『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカがメーヴェを乗りこなすのに憧れたり、『魔女の宅急便』のキキを真似て竹箒にまたがるように、僕はジーニーになりたかった。
小学校に上がっても、僕の夢はジーニーだった。魔法で彼のように誰かが幸せになる手伝いがしたかった。
すこしでもジーニーに近付きたかった当時、サウンドトラックという存在を知らなくて、それでもどうにか大好きなジーニーが歌う「フレンドライクミー」をはじめとした『アラジン」の楽曲を口ずさみたくてVHSを何度も何度も繰り返し再生し、ノートに歌詞を書き留めた。子どもでは知らない単語もあったし、耳コピには限界があったけれど、何年もかけて聞き取れない単語を穴埋めして、彼らの歌う曲を理解しようとした。
映画『アラジン』のラストシーン、アラジンの身分がバレてしまってジャスミンを諦めようとする彼にジーニーが「こんな女性100万年探したって見つからないぞ。嘘じゃない、俺だって探したんだ。」という台詞から、「ジーニーも彼女欲しかったんだなぁ」なんて思うようになったのも繰り返し見続けて、中学生になるかならないかくらいの頃だった。ジーニーが誰かを愛することに、愛したかったことに衝撃を受けていた。
実写版で人間になったジーニーは生涯のパートナーと結ばれる。アニメーションとも劇団四季版とも違うラストだけれど、愛する人と結ばれた幸せそうなジーニーが見られて……本当に嬉しかった……
今ではパートナーシップの根底にジーニーがいる。彼が愛する人や仲間を楽しませるように、僕は彼女を笑顔にしたいし、幸せにしたい。

そんな風に僕という人間の人となりの奥に宿ってくれているジーニーや『アラジン』以外にも、愛した作品があって。
たくさんある中で特筆すべきはやはり黄金期の『ヘラクレス』と『ノートルダムの鐘』。
いじめられっ子で、今にして思えば発達障害グレーの特性や性別違和でどうにも自分が周囲の子どもたちと違うのだと、負い目に感じ生き難さを抱えていた子ども時代に、このふたつの作品は何度も僕に元気をくれた。

ディズニーリゾートも、気付いたら好きだった。
両親は友人や従兄弟家族たちと一緒に僕を赤ん坊の頃からディズニーランドに連れ出していて、中学生くらいまで年1回は必ず足を運んだ。高校生からは友人や部活の仲間たちと年に1度は来園。
ディズニー作品が好きだから、世界観そのままのパークが好きだった。
小学生の頃は、帰りたくなくてイルミネーションに照らされるワールドバザールを泣きながら歩いたし、帰りの車内では次に来るのはいつだろうと思いを馳せたのを覚えている。
ずっと、ディズニー作品もリゾートも大好き。

あの、幸せしかない世界観が今もたまらなく好き。
ショーもアトラクションも、かかっている音楽もパーク内の装飾も、全てが来園したゲストを楽しませて「幸せにする」ために作られている。
作中の音楽をふんだんに使い、素晴らしいアレンジを加えてくれるショーミュージックは僕のプレイリストの常連。季節のイベントは同じショーやパレードを再演するとしても毎度マイナーチェンジを加えていて、同じものはない。どんなに切ないサウンドにも、希望のような明るいメロディーを重ねることで、幸福たる切なさを演出してくれるディズニーのショーパレ曲は本当にすごい。多幸感に満ち溢れた感動を、いつだってくれる。

幸せの象徴過ぎる場所は、近付きにくい人もいるかもしれない。
だけど僕にとっては、今まで一度だって生きやすいなんて感じたことはないくらい、生き難さと付き合って生きてきたからこそ、幸せしかないディズニーとディズニーリゾートが安心できる場所で、大好きなんだと思う。
ディズニーの映画作品やショーやパレードで繰り返される「夢はかなう」というメッセージも、僕は好きで。子どもの頃から、「夢はかなう」なんて言葉にしてくれる大人はいなかった気がするし、思っていても口に出さないというか。大人になった今なんて余計にそうだと思う。だからこそ、「夢はかなう」と繰り返し言って背中を押してくれるディズニーが大好き。

ディズニー作品では主人公の夢がかなうだけじゃない。周りにいる、かつて夢に破れたり、報われてこなかった人も何らかのかたちで報われているのがいい。
たとえば『アラジン』では自由を望んだジーニーはアラジンが彼の自由を望んだことで自由の身になったし、『ヘラクレス』ではヒーロー育成に挫折したトレーナーのフィルの夢だったように星座描かれたヘラクレスを見た民衆が「あれはフィルの弟子だ!」と口にしてそれを聞いた彼は嬉し涙した。
『美女と野獣』では主人公のベルが居場所を得ただけじゃなく、野獣は心を入れ替えて彼の従者たちの望みも適い人間の姿に戻った。
『塔の上のラプンツェル』では、ラプンツェルが念願のランタン祭りに参加し生みの親と再会して、プリンスポジションのユージーンがこれまでの適当に暮らしてきた自分自身を見つめ直した。
『ライオンキング』ではシンバが父の死を乗り越えて生まれ故郷に還り、周囲は王の帰還を喜んだ。
そんな風に主人公の夢がかなったり希望を得ていくとともに、周りの誰かも救われる。誰もが人生の主人公ではあるけれど、「僕は主人公ではないな」と思ってしまったり、夢を語りにくいお年頃になってしまった大人にも「夢は叶ったり報われたりするのだ」と語り掛けてくれているように、僕は感じる。
耳にタコが出来るくらい、観客に夢はかなうのだと言って聞かせてくれる。それがディズニーの作品なのだ。

正直、今の日本って希望もへったくれも無いんじゃないかと思ってしまう時がある。
そんな風にやさぐれてもなお、僕は何度でもディズニーに心を揺さぶられるから、希望を持つ心はまだちゃんとあるんだと思う。立ち上がるための心の栄養のひとつに、ディズニーがなってくれているのだと思う。
夢物語?それでいいじゃないか。夢物語を愛せなくなったら、そんな寂しいことってないと思う。子どもたちにはもちろんだけど、今の大人こそ、夢や希望が必要じゃないか。「夢はかなう」と思わなければ、叶えるための努力や行動も起こせないじゃないか。夢はかなうと思っていないと、立ち上がれない日だってあるでしょう。大人だからこそ。

そう思わせてくれるから、僕はディズニーが好き。
いつまでもわくわくさせてくれるディズニー作品と、パークが好き。



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椎名トキ
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