絶景スノーリゾート、 コルティーナ・ダンペッツオ
ノルウェーの人がこぞってスキーに出かける2月の1週間の冬休み。
おすすめスノーリゾートを同僚に聞いてまわった夫が選んだのは、イタリアのコルティーナ・ダンペッツオでした。
どこそこ?と調べてみたら、2026年冬季オリンピック開催地です。私自身はスキー大好きというわけではありませんが、オリンピック開催地となれば俄然興味が湧いてきます。
世界遺産ドロミテ山脈と三角屋根の町
スノーリゾートの最寄り空港はベネチア。かの有名な水の都ベネチアです。
悲しいかな、予想通りすっかりスキーモードの夫と息子たち。海方向に惹かれる私をよそに、まっすぐ山へ向かいます。
空港でレンタカーし車で約2時間、ベネチアからこんな短時間でアルプスのリゾートに行けるとは意外でした。昨年の夏は太陽と海を楽しんだイタリアでしたが、いろんな顔を見せてくれます。
ホテルに到着し、地元レストランで夕食を食べ始めたのですが、どうも次男の様子がおかしい。早々に引き上げ部屋で熱を測ると39度近く。旅行で起こりやすいけど何とか避けたいもののひとつ、体調の悪化。
その後、次男と私がホテル待機になったのは言うまでもありません。
スキーリゾート、私ら何しに来たんだっけ?とテンション急降下。
あまりにもやることがないので、次男が寝ている間にご近所散歩。食材を見たり、カフェに入って機嫌を持ち直します。
外に出ると、世界遺産ドロミテ山脈の雄大な景色が目の前に。そして、三角屋根の木造家屋が景色にしっくり馴染んでいます。
街の家々は似たような建築様式で統一されているので、景観保護規制があるのかもしれません。よく見ると、ベランダに箱型の木枠がついています。春夏は花が飾られて華やかだろうな。
高級リゾートの香りと「未回収のイタリア」
コルティーナ・ダンペッツオは、壮大な山々と牧歌的な町というだけではありません。
街の中心部には、グッチ、プラダといったハイブランドのショップが立ち並ぶストリートが。
鉄道が通るようになった19世紀から、富裕層が別荘を持つリゾートとしてヨーロッパで知られるようになったそう。
さらに興味深いのはこの街の歴史。
15世紀、ベネチア共和国に征服されるも、その後400年に渡りオーストリアのハプスブルクの統治下になります。第一次大戦後、イタリアの勝利によりオーストリアからイタリア領となりました。
1871年のイタリア王国成立後もオーストリア領であった地域のひとつとして、この南チロル地方は「未回収のイタリア」と呼ばれてきたそうです。
1956年に第7回冬季オリンピック開催地となり、世界に名の知れるスキーリゾートになりました。ちなみに、1944年冬季オリンピック開催地のはずでしたが第二次大戦のために中止になったそう。
2年後の2026年冬季五輪。この街で2度目の開催(ミラノと共催)です。
雄大でハードなスノーリゾート
次男の風邪でスキーが危ぶまれたものの、7日滞在中3日間、スキーすることができました。待機が長引き、しまいに泣いてしまった次男、最後の2日間でスキーリベンジです。
コルティーナ・ダンペッツオのスノーリゾートの感想を一言でいうと、
「ドロミテ山脈をまたがるリゾートは巨大で壮観、コースは険しめ」
オーストリア側の山までカバーするエリアチケットもあるほど、スノーリゾートは巨大です。限定エリアチケットでも、ケーブルカーやリフトをいくつも乗り継いでコースを移動できます。
麓から入ってもいいし、車で山を登り、数多くある中腹の拠点から入ることもできます。私たちが選んだ拠点は、2000m近い標高でした。心なしか空気が薄く感じます。
方向感覚のない私は、リフト3つめあたりからどこにいるのかわかりなくなります。迷子にならずに拠点にもどるため、付いていくのに必死。急斜面コースも覚悟を決めて降りるしかありません。
天気が良い時は、荒々しくも壮大な景色を眺めながら、起伏の大きなコースやスピードを楽しむことができます。
一方で山の天気は変わりやすく、濃い霧が出て視界が真っ白になることも頻繁に起こります。
スキー3日め、長距離コースで体力消耗したところにガスった視界と急斜面が重なり、連続転倒。去年挫いた膝をまた捻ってしまいました。
翌日はまたスキー出来ない状態に逆戻り。中級未満レベルの私には難易度高いコース多し、でした。
2月末の季節、麓の方はベタ雪でしたが、山では降雪があり雪のコンディションはとてもよかったです。週末は駐車場が満車になるほどリゾートは賑わっていました。
が、昨年のクリスマスシーズンは雪が足りなかったと聞いたので、ここでも温暖化の影響が出ているようです。
アルプスに来るのは初めてでしたが、コルティーナ・ダンペッツオは、壮大さと華やかさと厳しさを合わせ持つ絶景スノーリゾートでした。
旅行中は、海外のスノーリゾートという緊張感があると同時に、異国ならではの新鮮さや面白さがあります。
一方で、スキーのしやすさ、旅の充実度でいうと、日本のスノーリゾートだって全然負けていないと思ったり。何よりスキーのあとの温泉は至福です。
捻った足の痛みを残しつつ、今年の冬休みは幕を閉じました。
おまけ
スキーしたくて泣き出した次男のように、ベネチアの街に行きたくていっそ泣きたい私。スキー旅行だから仕方ないと思いつつ、どうにか最終日に観光できないか狙っていました。
が、滞在最終日もギリギリまでスキーをする男子たち。翌日の早朝便でベネチアを発つので空港近くにホテルをとったのですが、到着したのはすでに日が落ちた夜の7時。ゴンドラに乗ることも美術館に行くことも叶いませんが、何とか夕食はベネチア市内へ。
夕食の時間を含めて(たった)1時間だけ、街に滞在することができました。ベネチアの雰囲気を一瞬だけ味わいます。半端ない物足りなさですが、たまたま入ったレストランのディナーが美味しく、少し満たされてベネチアを後にしました。イタリア料理は正義。
参照:
ノルウェーのオリンピック開催地、リレハンメルのお話はこちら
ノルウェーで初スキーをした時に驚いたお話はこちら