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最近、何でも調べれば良いと思っていないか?

最近、散歩をする時にはミラーレス一眼を持ち歩くようになり、
道すがら見かけた景色をパシャパシャ撮ったりしています。

ただ、カメラの知識がほぼ無い私が撮った写真は、どうもパッとしません。。
「せっかく良いカメラを買って撮っているのに、なぜ上手く撮れないんだろう」
そう思った次の瞬間には、「じゃあ、Googleで撮り方を調べてみよう」とスマホを取り出していました。

しかし、そこでふと「最近、なんでも正しいやり方を調べて、それに従おうとしていないか?」とスマホを打つ手が止まりました。
なんだか、すぐに調べようとする悪い癖がついてしまって、自分で考えようとしなくなってしまった気がします。

ゲームだって、ネットで調べた最強テンプレの装備でないと気が済まなくなってきたのはいつからなんでしょう。。
小学生の頃は、カードゲームのコンボとかを自分で考えていたのに。

「知っていること」と「調べたこと」の違いとは

日本人のほぼ全員が1人1台スマホを持っている現代において、個々人の脳内にある知識と、Googleから検索できるネットワーク上に存在する知識に境界は無い、と考える人も多いかもしれません。

では、今となっては「知っていること」と「調べたこと」というのは、同義になってしまったのでしょうか。
特にnoteをはじめとしたこうした記事なんて、書きながら調べたことをあたかも元から知っていたように書く、なんて容易いでしょう。

気になった私は、広辞苑で「知る」と「調べる」について引いてみました。

知る:ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意。
調べる:かれこれ照らし合わせて考える。

こうして二つの言葉を比べてみると、「知る」というのは自分の"内"にある知識で
「調べる」というのは自分の"外"にある知識、という印象ですね。

また、"広く隅々まで"とあるように、「知っている」というのは対象の知識だけでなく、その周辺についての知識も有している、というニュアンスもあると私は捉えました。
そう考えると、Googleで調べた場合だと、確かに対象の知識についてはピンポイントで理解することができるかもしれないですが、その周辺の知識まではなかなか得ることはないように思えます。

ただし、現代において「表面的な知識しか付かないし、気になってもGoogleで検索しない!」というのは、文明の利器を利用しない現代においてナンセンスなスタンスであると思います。

では、現代においてどのように「知って」、知識を広げていけば良いのでしょうか。

体験から知識を広げる

少し話を戻しまして、私が小学生の頃にカードゲームでコンボを考えていた方法をお話したいと思います。

まずは持っているカード達を眺めていって、あるカードに「これは何かに使えそう」と目が留まります。
ただ、それだけでは何も生まれず他のカードも眺め行くと、「あ、これはさっきのカードを組み合わせられそう!」という気づくのです。

そして、早速それらのカードをデッキに組み込み、次の日に友達とバトルをします。
しかし、昨日の夜に机上で考えていた時は上手くいきそうに思えたのに、いざ実践になると上手く機能しません。

その失敗を活かして、その夜にまたデッキを組み直す…というようなことをしていました。
こうした積み重ねで、小学生の頃に私は負け無しのカードゲーマーとして君臨していました。(十中八九、井の中の蛙でしたが。)


つまり、何が言いたいかといいますと、「観察」「Try&Error」が大事なのだということです。

いきなりGoogleで調べるのではなく、まずはじっくり「観察」をして、次は実際に自分でやってみる、そしてまずは失敗してもいい。失敗の原因を考えて、次にそこを改良すれば良いのです。
そうした、自分の体験に基づいて得た知見というのは、表面的では無い れっきとした自分自身の知識なのではないでしょうか。

失敗を恐れない

前節で「失敗してもいい」と偉そうに書いたものの、私も大人になってから「失敗」というものを出来るだけ避けるようになった気がします。

なぜ、大人になってから「失敗しないように」と行動するようになったのか考えてみたところ、見栄や周りからの評価、というものもありますが、特に大きなファクターとして「時間を無駄にすることを必要以上に恐れているから」ということに気がつきました。

子供の頃は、時間なんて無限にあるものだと思っていて、どんなくだらない事にも熱中して時間を掛けられたし、どんなに回り道をしても、どんなに時間をかけて来た道を引き返すことになっても、そこまで苦ではありませんでした。

しかし、大人になると、そうはいきません。
「人生というものは有限である」「時間の使い方で人生が変わる」「一分一秒を無駄にしないように生きろ」と刷り込まれて生きていくうちに、「失敗して、またやり直し」という時間のロスなんて、とてもじゃないが受け入れられない!という考えに変わっていっていたのです。

そうして、「失敗しないように」「効率を重視したやり方」という意識が先立った結果として、何でも「まずはGoogleで検索してみよう」という習慣がついてしまったのでしょう。


ただ、最近は「2,3年、ましてや数時間のロスなんて、人生という長いスパンで考えたら誤差の範囲じゃ無いか」と思うようになってきました。

私はまだ20代で、社会人になって4年目。
4年目となると、仕事もだいぶ覚えてきて独り立ち出来るようになってきました。
ここで、会社に入ってから覚えたことを全部捨てて、新しいことに挑戦するとなると、なんだか積み上げてきた3年間が無駄になる気がします。
しかし、きっと無駄なんてことはないのでしょう。

正直、いまの生き方には疑問を持ち始めてきたので、どこかで調べるではなく、誰かに教えてもらうのでもなく、失敗しながら「自分の生き方」というものを「知って」いきたいと思います。

「人生の歩き方」を教えてくれるサイトなんて、どんなにGoogleで検索しても出てこないのですから。

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伊賀 直瀧
いただいたサポートを使って、新しいことに挑戦させていただきます。