”一日に一つでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで、「この日、この私は、生きた」と、自ら慰めることができるのではないか…” - 忘れがたいことば

城山三郎『無所属の時間で生きる』より引用します。。
彼の造語である”一日一快”と、読書の楽しみに触れられています。
城山先生は、本当に読書が好きだったんですね。

 ”もっとも、勉強すればよい、というものではない。
 それが楽しさに通じたり、深まったりしなければ、永続きしない。言いかえるなら、そうした過ごし方をしてよかった、今日は深く生きた、という思いにさせるものでなければ。
 ただし、極楽ではあるまいし、一日中、そうした思いで満たされたいというのもこれまた無理。
 それなら、一日に一つでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで、「この日、この私は、生きた」と、自ら慰めることができるのではないか。
 つまり、これは私の造語なのだが、「一日一快」でよし、としなければ。
 事実、一日をふり返って、悪いことばかりという日は、むしろ少ない。
 それでも、どう見ても快いことが無いというなら、奥の手がある。
 本書に記した、「珊瑚の時間」、つまり晩餐後に、寝そべって好きな本を読むことである。短時間でもよい、好きなだけ読み、眠りに落ちる。
 活字に縁の深い仕事をしている私などでも、そうした「珊瑚の時間」の楽しみだけで、「ああ、この日も生きた」という満たされた思いにさせられることが、しばしばである。”

(城山三郎『無所属の時間で生きる』より引用)

私は、このことばに”救われて”きました。
自分も本が好きで、同じように本が好きな先達がいること。
つらいときも、何か一つくらいは楽しみを見つけようとし、それがダメでも自分には読書があるじゃないか、と自らを慰めたこと。
本から力をもらい、困難を何とかしのいできた気がします。
大げさではなく、本当にこのパッセージは、自分を支えてくれたのです。

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