おでん酒すでに左遷の… - 好きな俳句

伊藤肇『左遷の哲学』より引用します。
東芝社長だった岩田弍夫(かずお)の残した俳句をふたつを含む引用です。
お酒の出てくる俳句シリーズです。

”(…)辞表を破り捨てた岩田に先輩は、もう一言つけ加えた。
「理想の職業などというものが、最初からあるもんじゃない。それは自分でつくりだすものなんだ」
 岩田は左遷されたことを忘れて、懸命に仕事に打ち込んだ。

  おでん酒 すでに左遷の 地を愛す
  熱燗や あえて職場の 苦はいわず

 などの句境を開拓したのもこの頃だったが、その結果は、同期の中で最初に重役に抜擢されるという結果となってあらわれた。”

東芝で社長を務めた、岩田弍夫というご仁。
若いころは上司とぶつかり、句にある通り左遷の憂き目を見たことがあるようです。
先輩に止められ、辞表を破り捨て、懸命に仕事に打ち込む中で生まれた、二つの句です。

いい話なんですが、自分なりの見方をご披露しますと…

”熱燗や…”の句は、苦しい左遷の立場に耐え、奮闘する人の句にたしかに見えるんです。

でも、”おでん酒…”の方は、都落ちしてもう出世はあきらめて、左遷の地でのんびりやろう、という人が詠んだ句にちがいない。
句だけ見ると、自分にはそう感じられます。

札幌に都落ちしたから、ススキノになじみのバーでもつくって楽しくやるか、みたいなあきらめ感。
懸命に働くサラリーマンの立場を、脱ぎ捨ててみる。
そして違う人生の味わい方をする。

この句に初めて触れて10年以上が経ち、句にまつわるエピソードが記憶から抜け落ちた状態で、虚心にこの句に対してみて感じたことです。

伊藤肇がこのエピソードを持ち出すのは、サラリーマンとして都落ちに負けずに復活するべく、努力し成功したことを評価するからでしょう。
それはそれで、確かに尊いことです。

でも、尾羽うち枯らし、左遷の地でひとり、おでん酒で自らを慰める男の姿も、また味があるんだよなあ。
そう、自分は思いたいのですね。

 おでん酒 すでに左遷の 地を愛す

飄々と、企業での勝ち負けという価値観から抜け出て、おでん屋(屋台かもしれない)で、虚心に酒を味わっている。
ゆっくりとした、時の流れを感じている。

出世の階段から落ちなかったら、わからなかった心持もわかるようになった。
”負けた自分”のことも、自分でようやく認められようになった。
そういう、一人の中年男が浮かび上がってきたんです…

穿った読み方かもしれませんが、これが自分なりの感想です。
ひょっとしてワタクシは、”自画像”としてこの句を読んだのか。
自分の境遇を投影するというような。
さて…

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