Om I sing like the birds I grow like the tree I choose to live in love I am joy I am ease Om Sri laxmi maha devi namaha I choose no more fear I choose no more shame I choose to live in love I am light I am grace Om Sri laxmi maha dev
生きたかった夢の中に生きていること 私達は時々忘れてしまっては ないだろうか? 会いたいと願っていた人に 行きたいと願っていた場所に 逢えて、来れても 段々とそれが日常として溶け込んでゆく でもそれって想いと想いが 繋がらなければ 起こらない とっても尊いこと 誰かをそっと想った時に 相手も想ってくれている 不思議な巡り合わせ それを我々の国では "ご縁" と呼ぶのだろう。 ◯ 円 縁 繋がり。
羽ばたきながらも地固める 地固めながら高く飛ぶ しっかりと根を張って無ければ高く空へと伸びれない 足元がぬかるみでは 幾ら美しい羽を持って産まれたとしても 高くは飛びたつことはできない どんなに上半身に意識を固められても 土台となる足腰が しっかりと地球にグランディングできてなければ 上はブレて安定は来ない 帰る場所があるから 大きな愛を感じれる場所があるから 挑戦していける、 失敗してもいいんだと強く在れる そしてまた 弱くもなれる 弱みを認め人に見せられれた時
変わりゆくもの 沢山の変化を受け入れながら 決して止まることのない 流れに身を任せていくのは 楽しさや幸せもたくさんなのと 同じ様に 悲しみやしがみつきたい気持ちも生まれる 変わらないものなんてない 変わらないと思って安心感や心地よさを感じてられた 唯一無二と思っていたものですら 消えて無くなっていく。 そして新しいものにまた 生まれ変わって また全く姿形を変えて ひょこっといきなり私の前に現れてくれる。 遠い昔 いつかの今に 今みたいに時を共有して 目を見て笑い合
昨年2022年の夏の終わり 母になった。 それも本当に面白いくらい とんとん拍子に幸せの 渦にみるみるうちに巻き込まれていった杏奈 毎週の様に顔を合わせ遊んで 名残惜しさを残しながらも夏が過ぎていき 涼しくなってきた頃 大山にハイキングに行った お昼にお茶屋さんで お蕎麦とモツ煮 結構食べるな〜と思っていたけど なんだか可愛いなーなんて思っていたら その1週間後くらいに 発覚しすぐにお腹にBabyが居ることを教えてくれたんだよね 嬉しかったなぁ その瞬間
守っていかなくてはならないもの 手付かずの場所や未開拓の地 人間が頂点に立ってるかのように地球を乗っ取って他の生き物を管理し養殖をする それは生態系のバランスを壊してしまう 自然は全てが完璧なバランスで 繋がっているの 人間の小さな物差しで測ったら 不必要に見えることですら 大事なシステムの重役を担ってくれている 魂が故郷に帰って 残った動かない肉体ですら 必要な養分であり また新しい命が吹き込まれる 違う肉体へと変化する 畜産動物やペット業界 命を売って稼ぐ人
人の悪口を言った事 言われた経験って誰しもあると思う。 言われた時、人伝に聞いた時 たまたま耳に入ってしまった時 それが仲良い自分が信頼してる人だったり 仕事場の同僚だったりと 度合いが違えど 言われて傷付かないなんて そんな人は誰一人として居ないよね 言いたくないけどなんだかむしゃくしゃして言ってしまったり 相手を傷付けたくて 故意で言ったりと 根底にある理由は様々だと思う。 自分もされたら嫌なのに相手にもしてしまう。 されて自分は嫌だった悲しかった だから 貴方
今日は久しぶりに海の上 気が向かず足が遠のいていた波乗り どうせ入らないし(気持ち的に入れないし) って波チェックすら 全くしていなかった半年間 それがいきなり今日、ほんと今日何時間か前! 仕事終わり波チェックしに小動に向かっていた 上げ込み2時間出来そう ハラコシ! 少し久しぶりの海になんだかドキドキした 部屋の目に見える所にいつも掛かってた お気に入りのウエット でも目にいつも入ると 海に行けない位落ちてる自分が 嫌になる時もあるから クローゼットの奥に仕舞い込
"体は魂の乗り物でギフトで借り物" 意識の世界に魂(目に見えない存在)として みーんな生活していたんだけど 目に見える世界(3次元) 今ままで生活してきた この地球に 沢山の事を経験して感じて 魂(今個々として私として認識してる意識) のレベルアップをしきたの、 そのためには五感を持った体(肉体) が必要だったんだ 体って 自分で生きてる って思ってしまうけど 自分の意思で心臓動かせる? 寝てる時もずっと働いてくれている 経験する為に生かしてもらっている とっても凄い
現代人の私たち日本人の体質は ご先祖様が食べていたもの (おばあちゃんたち) が一番体に合っていて その時代ファストフードを始めとする 欧米食は無く 特に日本の冬は 保存食として発酵食品、お豆、お米(玄米や8部米) を頂いていた 今はとってもありがたいことに 沢山の国のものが自由に食べられる時代 だけどお国が違えば内臓、体の中のつくり 細胞一つ一つが全く違うの て言う事は、、 当たり前に食べたらうんちとして 毎日出してくれているから 体の内側に目を向ける機会って 中
4月の後半にやっとやっと心の平穏(ニュートラル状態) を見つけることが出来て この先忘れもしない 健人のお家に何故か3日ずっといた時。 その時に明らかに感覚が変わった それまででは考えられ無い程 全てが輝いて見え出して何するのも楽しくて 気を遣ってしまい疲れてしまうのと 自分の選んだコミュニティじゃない場所での 負のエネルギーを過敏に感じ取りすぎてしまい それをずるずる引きずって心が疲れてしまうことが多く 人の悲しみや怒りが当事者かのような感覚で 入ってきて涙が出てくる
13.9.2022 19歳ぶりのバンコク パンデミックになる直前チケットを取っていたけど全フライトキャンセルになり 来年は行けるだろう、うん来年こそは でなんだかんだでチケット取ってから 三年近く経って やっとの思いで帰ってこれた 空港の匂い、あーこれ、落ち着く。 早く混沌としたバンコク市内の 音、匂いの洗礼を浴びたく街に行こうと思っていたけど 出発当日の20分でバックパック詰めたから なにかと必要なもの入れ忘れてて 携帯の充電機も忘れ バッテリーも充電ゼロ
はじめましてえみちゃん 10代からの大好きな 友達の元に突然ひょっこり現れた女の子 産まれて1ヶ月とちょっと 1ヵ月を超えたらもう新生児とは呼ばないらしい。昨日知った。 けどまだまだ4キロしかない 身体の全てのパーツがちっこくて 理解ができない程に可愛い この2人の元を選んでやってきたえみ その時点でもうえみのセンスが大好きだ! 昨日えみに掛かってたブランケットは ラスタカラーのボブマーリー 通称、ぼぶおじさん タグには油性ペンで書かれた おと の文字。
身体のパーツ どこをとっても十人十色で 唯一無二で愛おしくて 特に目と手が大好き "目は口ほどに物を言う" 言葉を交わさなくても 目を見たら なんだか相手の気持ちが分かったり 目で訴えたり 言葉が違う 猫ちゃんわんちゃんなんて このことわざのまんまよね 長年連れ添った子だと尚更 目と目だけで会話できるよね 会いたい人には 迷ってる暇もなく会いに行って 目を見て話したい 見たい景色行きたい場所には 自分の足を使って 体を連れて行って 目に焼き付けたくなる
何から書こうか 最初の一枚目だから どうして始めたかを書いておこう きっと何年後かに自分で見返したら 面白そうだから 伝えたい事、誰かの元に届かなくても 自分の考えをアウトプットして 振り返れる場所 2ヶ月位前 なおって活字読むの好きなんだ! 言葉を文にするのが好きなんだ! 好きってそうゆう事なんだ!! 好き、なんだかしてて心地いいは 24年間自分自身だから 当たり前に感じてしまってて 特別視できてなかっ 感情によーくフォーカスしてみたら その好きをしっかりと