見出し画像

Naoshima People's 奥山さん(No.0009)

Naoshima People'sとは


奥山さん

直島出身。2017年より宮浦で自家焙煎珈琲と本と雑貨のお店を営む。

Born in Naoshima. He has run the store of home-roasted coffee, books, and sundries, in Miyanoura since 2017.

高校を卒業したあと、いったん直島を離れていたけど、いつか自分の店を持ちたいって思って。いろいろ考える中で、自分のやりたいことをやれる場所はいまの直島しかないなって。

アートが好きな人が来て、僕が聞いてもないのに、それを熱く語ってくれる人がいる。それって僕が洋服やジーパンが好きなことと、結局一緒だよね。
好きなことを話す、その表情も含めて、その人たちってすごく生き生きしている。

例えば海や景色が綺麗とか、当たり前だったからそう感じることはなかったけど、改めて海が綺麗だよ、時間がゆっくりだよね、っていうところはお店に来てくれる人に気付かされたよ。

I left Naoshima after graduating from high school, but I came back because I wanted to create my own store. People who love art come to my store and talk passionately about it, and their faces are very lively. What I also was made aware by them is the beauty of the ocean and the slow and relaxing flow of time in Naoshima.


インタビュー担当者2人と一緒に。
お話しがとても楽しくて、感心することばかりでした。

奥山さん's another story

ーー高校卒業してから岡山でお仕事されていたとお聞きしましたが、どんなことをされていたんですか?

高校卒業して、児島(岡山県)の学生服の会社に就職したんですよ。それが1993年4年で、その頃は同期が高卒と大卒含めて30人40人くらいいたから、結構(会社が)大きな頃だった。ぼくの中で選んだ理由が、本当に仕事は一切関係ないんだけど、何かあった時に親のすねがかじれる場所(笑)。でも、物理的に直島からは通うっていうのは難しい場所。一人暮らしもしたかったから、自由そうな寮があるところ。野球がもう少しやりたかったから、遊びでもいいから野球部があるところ。いくつかの求人の中から、自分で行きたい会社を決めたら、行けるような環境だった。時代的にはすごく良かった。

ーー直島で就職するという選択肢はなかったんですか?

ぼくが就職する頃って、ベネッセミュージアムがようやくできたくらいの、つまりいわゆる直島が「アート」もない、ただの島だった時代。直島では少ない選択肢の中から選んで働くしかなかったんですよ。そうすると、幼稚園小学校から同級生はもちろんなんだけど、歳上の先輩とかみんな知ってるわけですよ。その人間関係が一生続くんだなと思って。学校行ってもそうだし働いてからもその関係がずっと続く。もちろんぼくも同級生は80人ぐらいいて。この人間関係が一生続くのかっていうのは、あんまりしっくりこなくて。これはもう直島は出よう。残るっていう選択肢はそういう理由から正直なかったんです。

ーーそれから長く学生服の会社でお勤めになったのですか?

10年くらい。それくらい勤めていったときに、高校でて就職してから、次は重要なポストを任されるような流れになって。それをやりがいにしていたんだけど、実際に自分が中心に頑張っていくって考えたときに、あと30年ここで働き続ける?と思って。会社的にも少子化の時代でかなり転換期を迎えていったというのもあって。多分どんな仕事をしてても、「お客さんのために」ってよく聞くと思うんだけど、どんどんお客さんから年齢が離れていく。つまり、中学生高校生の学生服を着るお客様から自分はどんどん年が離れていくから、気持ちがわからなくなっていく。そんな中で、洋服やデニムがずっと高校時代から好きだったから、思い切ってその世界に飛び込もうと思って。30歳を前にデニムの会社に転職しました。

ーー自分の好きな業種のお仕事に飛び込もうと思ったのですね?

やっぱり、当時はトレンディドラマとかの影響もあって、洋服も好きだし、そしたら、こっちの世界に行くべきでしょみたいな。その仕事はやる前から自分が好きだって勝手に思ってた。向いてる向いてないは別の話で。

ーー好きなお仕事をやられて、どんなところがやりがいでしたか?

ぼくは来てくれるお客さんとお喋りできるだけで楽しかった。好きなものを売ってて、それを好きな人が買いに来てくれる。Gパンの話をしてその時間をお客さんが楽しかったなって思ってくれるだけで、別に売れなくても良かった(笑)そうやって仕事をするうちに、ひとつ思っていたのが、いつか自分の店は持ちたいってことで。

ーーそれが奥山さんのいまのお店に繋がるんですね!?

そう。飲食店っていうより、みんながしゃべりに来てくれる場所があったらいいなと思って。コーヒーやカフェは素人だったけど、こういうのは知れば知るほど動けなくなるから、とりあえず勢いとノリだけで始めるかと(笑)

ーー直島で店を出そうと思ったのはどんな理由だったんでしょう?

最初は直島に戻る選択肢は無くて、岡山や倉敷で探していたんだけど、家賃の相場や競合状況を考えたときに、おれは500円のコーヒーを何杯売らなあかんねんって(笑)。売上も大事だけど、それより好きな人と喋るような店がやりたい。難しいけど、でもやっぱりそれがやりたくて。そんなときに直島。アートで注目されて、国内外からたくさんの人が来てくれる場所になっていたし。本当に帰ってくる気はまったくなかったけど、自分のやりたいことをやれる場所は岡山でも倉敷でもなくて、直島でしかないかもしれないと思って。たまたま生まれ育った土地で住むところも店にできそうな場所もあったっていう。急展開というか。

ーー奥山さんが高校を卒業して離れたときに比べて、直島はかなり変わっていたのですね。

例えば分かりやすいところで、岡山駅からのアナウンスで直島に行く人は何番線みたいなアナウンスがあるでしょ。それを2010年くらいのときに、初めて聞いたときの衝撃。直島を案内するの?それは多分直島に住んでる人だと違和感に感じる。高校のとき直島ってバカにしてたよね(笑)

ーーお店を始める前のいろんな人が気軽に話に来れる場所という理想には近いですか?

近しいかな。もちろんジーパン好き洋服好きの人が、来る店かっていうと、そんなことはもちろんないんだけど。同じくらいの熱量を持ったアートが好きな人が来てくれる。例えば、当時、地中(美術館)とかに長野かどこかから移住してきていた女の子がいて、なんで奥山さんアートがわかんないんですかって。おせっかいもいいところで(笑)豊島行ったことないの?なんで?私が連れて行くから、で、連れて行かれて。でもそれがすごく楽しくて。

ーーいいおせっかいですね(笑) 最後に今回の撮影地は奥山さんの好きな場所を選んでいただいたのですが、どんな思い入れがあるのでしょうか。

宮浦から大槌島が見える場所にしました。それこそぼくのお店のインスタでも、ほぼ大槌島が載ってるんだけど、あれ児島からも見えるんですよ。瀬戸内海のこの辺からはどこにいても割と見える島で。とりわけこの宮浦からの大槌島が一番綺麗に見える。子供の頃からこの辺で遊んでるときの後ろにはずっとあの島があって。大槌島は多分、おこがましいけどぼくのことを見てくれているって勝手に思って(笑)


奥山さんをいつも見守ってくれた大槌島をバックに。

いいなと思ったら応援しよう!