だから私は文章を書く
ある人から、生きている意味がわからない、と言われた。
私にも、自分の生きている価値が、この世界で生きる意味がわからなくなってしまった時があったから、気持ちは痛いほどわかる。
その気持ちほどしんどいものはない。
できれば誰にもそんな気持ちになってほしくない。
その一方で、戦争や紛争、虐殺、で外的要因で命を落とすような環境で必死に命を守りいきぬいてきた人と交流もあるし、
何も悪いことをしていないのに、誰にも価値を見出されず、理不尽に射殺される動物を見てきたから、
なんだか、なんだか悔しくなってしまう。
誰も責められないのだから、行き場のない悲しさに
命とはなんだろう、この世界の価値って、平等ってなんだろうと思ってしまう。
そういうのにいちいち反応して、苦しくなってしまうのだから自分は本当に損な性分だなと思う。
悲しいこと全部変えれるなら変えたいし
苦しい人全員助けれるなら助けたいけれど、世界は複雑に絡み合っていて、どこかを改善しようとすると逆に誰かが不幸になったりする。
そもそも私は世界を変えようと考えるほどの強さも優しさも持ち合わせていない。
だけれども、無責任なことをいうと、苦しんでる人みんな、どうにか、どこかに希望を持ってくれたらな、なんて願ったりもする。自分も含めて。
だから私は文章を書く。
リアルで嘘のない世界を見ていきたい。と思っている。
物事の本質を貫いてる世界は時に残酷だけど、力になるのだから。
優しさとか、思いやりとか、希望とか、何かがぶれてしまっている場所で、そういった無理にポジティブな言葉はならべたくないけれど、
本質やリアルの中には少なくとも説得力があると思うんだ。解釈の仕方は受け取り手次第だけれど、そこにあるメッセージを私は伝えていきたい。
それから、私自身、キラキラしていなくても、沢山失敗して不恰好な姿でも、必死にリアルに這いつくばっている自分でいたい。
インスタグラムで、インフルエンサーが見せるようなキラキラしたポジティブな世界は見せれないだろうけれど、嘘のない世界は見せれると思う。
個人的にそこにどうしようも無い美しさを感じてしまう。
それを見たい。ただの自分の欲望だけれど、文章に書き留めたい。自分のためでもあるけど、あわよくば誰かの目に留まって何か美しさを感じてくれたらいいな、なんて考えたりする。