感動の涙とは、罪悪感を洗い流すしくみである、という説が腑に落ちた話
子供の頃から「感動モノ」というジャンルの作品が苦手で見れない。
苦手どころか、嫌悪感すらおぼえる。
映画のCMで「全米が泣いた!」なんて宣伝文句を聞いたら、
もうそれだけで その映画を「見たい」という気持ちが失せる。
(そもそも、あまり映画は見ないのだけれど)
世の中には「泣くために感動モノの映画を見て ストレス発散したい!」
という人が結構いるけども、その気持ちがマジで全く理解できない。
確かに私も、家事と仕事の両立が上手くできないときとか
なんか自分の経験値や実力が足りなくて 気持ちがシンドイときなどに
ひっそり泣くこともある。
あんなに長いこと「できないできない」とくよくよしていたのに、
泣いた翌日は 逆にヤル気が出て、実際これまでより
少しはマシにすることができたりするから不思議だ。
泣くこと=ストレスを発散させる効果がある、ということについては
全く異論はないのだけれど、だからといってわざわざ泣きに行く人に関しては、
何故か「みっともない…」みたいな印象を持ってしまう。
人に泣いているところを見られるのが嫌いだったり(特に家族)
「見ている観客を泣かせてやろう」という作り手の嫌~な笑顔が透けて見えたり…
いろいろな理由が思いつくのだけれど。
最近 岡田斗司夫氏のニコニコチャンネル(有料部分だったかも)で
「感動とは罪悪感である」という話(持論?)を聞いて、わりと腑に落ちた。
感動モノの映画やアニメを見たい、という感情は
「頑張っている人の物語を見ることで、自分も頑張ったという錯覚だけ味わいたい」ということで、
感動の涙というのは、実際は自分は頑張っていないのに
頑張った実感を得たことへの【罪悪感】を流し去るためのものである。
という感じの内容だったと思う。
実はわたし、割と最近まで びっくりするほどクズだったんですよね。
若い頃を振り返ってみると、部活は遊ぶとこだと思っていたし、
受験もせず大学にもいかず、就活もせず、なんと43歳の今まで就職もしたことがない。
声優を夢見て劇団に入っても、全く一生懸命やらず 後輩から怒られたこともあるし(笑)
声優を目指すことを辞めたあとは 派遣やバイトをしながらコスプレに明け暮れていた。
バイトも1か所で長く続けることがどうしてもできなくて(最長2年)
居酒屋や事務、アパレルの販売員など転々としていた。
これに関しては自分でもかなり治したくて、自分なりに努力して
少しずつ改善はしていくんだけども、解決には未だ至らず…
そんなワケで、「わたしは自分でお金を稼ぐことはできない人間だ」と割り切って、
結婚相手に求める条件の最優先順位を「好き嫌い」ではなく、
「きちんと1つの会社に長く勤めていて、そこそこ収入のある人」に
切り替えた婚活をして、そういう相手と結婚をした。
(結婚後、とある事件きっかけで 今はめっちゃ仲良しです。親友みたいな感じ。)
とまあ、35、6歳まで 一切頑張らずに生きて来たクズの中のクズたる私なので、
そんな自分が「感動モノを見て頑張った気分だけ味わう」のだけは
あまりにクズすぎて その行為自体に嫌悪感があったのかもしれない。
その禁忌に触れれば キングオブクズと認定されてしまう。
それだけはどうしても避けなければならない。(急な厨二)
…まぁ、その延長で「感動モノが好きな人」のことも、なんとなく
「みっともない」みたいに思ってしまっていたと思われる。
ところで最近、「感動モノ」なのに 自分的 好きなアニメBest10に
ランクインしてきた作品がある。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
リアタイ視聴していたのだけど、
「これ感動モノなのに、めっちゃ好きだ…」と感動した。(ややこしい)
それから、10代の頃から大好きなアニメ、エヴァンゲリオンの
最後の劇場版を先日観に行ったのだけど、
このラストには けっこう賛否あると聞いているけど、
私は普通に「いい話で終わったなぁ…」と思えた。
(シンエヴァを感動モノジャンルに振り分けているわけではないんだけれども、
まぁラストだけは感動モノっぽかったかな、くらいのアレです。)
ちょうど「ヴァイオレット~」が放送されていた頃、フリーに転身しまして。
収入はバイト時代よりも低くて 未だに商売になんてなってはいないのだけど
頑張っているか、頑張っていないかで言えば
今までよりは、まぁ頑張っている方かもと 自分でも思っちゃっております。
(それで暮らしていけるほどの収入は得てないから、
他人から見たら頑張っていない部類なんだけど、当社比だからね)
「泣くために感動モノの映画を見て ストレス解消したい!」人たちって
たぶん、自分はそこそこ頑張れてる実感があるひとなのかもしれない。
だから、もっと頑張っているひとの疑似体験をして
泣いてストレスを発散させる権利がある。
そして、最近の自分は 少しだけその権利をもらえたのかな?
まぁ…だとしても、やっぱり「感動モノ大好き!」みたいなタイプとは
あまり仲良くなれる気がしないし、何かアニメや映画を見ようとするときには
なんとなく除外してしまうのだけれど。
ちなみに、岡田氏は「感動モノ」を「感動ポルノ」と言い換えて
「こんなもの面白がれるのはバカだからだ」と言っていたから、
所感が真逆なんだけども笑
人間はバカな方が幸せ、とも言うから。
「感動モノ」を娯楽として素直に泣く行為は
手軽に幸せを感じる手段と理解して利用すれば、むしろ賢いと言えなくもない。
(すいませんさすがにムリがありすぎた)
これについては、私も歳をとったせいか 最近は
世間にあらがわず ちょっとバカでいるのもいいか!と思い始めている節があって。
この件については、また別の機会に…。
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この日記(?)書き終わったとき、なーんか読み心地が悪い、
最終的に何が言いたいのかよくわからないな~と思いつつ1回寝たんだけど、
「そこそこ頑張っている自負があると、
感動モノを見て頑張ってる疑似体験をしても 感じる罪悪感が薄い」
ってっことを言いたかったんだなぁと、起きてから気づきました。(遅)
自分は、自分が頑張っていないと感動モノを見る権利もないと思っている。
なのに、あいつら 自分と同じくらい頑張ってない癖して
わんわん泣いてスッキリしやがってみっともない! 頭が悪い!!
って、そういう嫌悪感だったんかなー。
けど、最近気づいたことがありまして。
自分が一切頑張ってなかったから、周りもどうせ頑張ってないだろうと
若い頃は思いこんでいたのだけど。
意外とみんな頑張って生きてるよね…
ネットで見るオタクの「頑張ってるやつキモwww」みたいな雰囲気、
真に受けたらいかんかったんだなぁと今更ながらに笑
ちょっと!みんな普通に頑張ってるんじゃん!!
「ぜんぜん勉強してなーい」って言いながら90点取るタイプだなさては…
マラソン一緒にゴールしようねって約束したじゃん!!裏切者おぉお!!←
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