「愛の予言・宇宙の法則」まとめ

「愛の予言・宇宙の法則」を読んでまとめてみました。

●地獄

地獄とは、人間が殺人か殺人に匹敵するくらい卑劣な事をした時、堕とされる場所です。
つまり、極悪人は死後、地獄という領域に下ることになるのです。
そこは単なる死後の世界ではありません。
死後の世界にはあらゆる次元があり、奇妙に聞こえるかも知れませんが、あらゆる次元の内の1つである3次元の世界がこの地球なのです。
しかし、そのあらゆる次元にも当てはまらない領域があります。
つまり次元に満たない程の僅かな、希薄な領域があるのです。
それが、我々が俗に地獄と呼んでいる領域なのです。
先程も申し上げたように、極悪人だけがそこに堕とされます。
したがって、そこには極悪人しか住んでいないということになります。
では「極悪人」とは何かというと、1言で、「エゴイスト」と表現できます。
つまり、自己優先し他者に対する思いやりの全くない者たちの集まりが、地獄なのです。
そのような領域では、たとえ誰かが苦しんでいても誰も助けないし、自分が苦しんでいても助けてはもらえないのです。
そして、力の強い者は弱い者を虐げ放題し、力の強い者の優位な社会が成り立っているのです。(力といっても彼らが持っているものは霊力だが)
ただし、そのような生活が永遠に続くわけではありません。
永遠と思える苦しみの時間の人生を送ることになりますが、その人生が彼らの次元で終わると、彼らはその世界で死に、再びその世界に生まれ変わるのです。
すると、かつて強くて他者を虐げていた者は弱く生まれつき(前世で霊力を浪費したから)、他のもっと強い者に虐げられるようになるのです。
そして、その強い者も同様に転生すると弱くなり、そのような循環を繰り返し、人々はお互いに苦しめ合い、それこそ地獄といえる世界を作り出しているのです。
それが地獄です。これは彼らにとっては永遠に等しい時間です。
だから、この次元は悪人たちの牢獄のようなものです。
と同時に彼らにとって学びの場でもあるのです。
彼らは悟らなければならないのです。
このような社会に於いて、虐げられた者たちは強者に対して一致団結するようになります。
つまり、多数の弱者たちが集まり少数の強者を撃退するようになるのです。
そして、彼らはやがて「もうこんな争いは懲り懲りだ」と悟り、霊力や腕力が本当の強さではないと悟った時、彼らはその地獄という次元から開放されるのです。

やり直しが利くのであれば、まだ良い方で、やり直しすら許されない人たちもいます。
それは、人殺しかそれに匹敵したことをした人たちのことです。
彼らは0次元に堕とされるのです。
そこはいわゆる「地獄」のことですが、一般の人々の考えるような世界ではありません。
そこへ下ると、知性が開け、万能の力を持つことが出来、家族のしがらみがなくなり、やりたい放題出来るようになるのです。
このように表現すると、そこが何か凄く良い世界であるかのように感じるでしょうが、大勢の人々が、しかも皆エゴイストたちで暴虐者たちがこのように生活していると、想像してみて下さい。
全員が自分のしたいように振る舞い、自分の欲しいものを求め、他人を押しのけたら? 
バーゲン・セールで揉み合う、欲を剥き出した醜い人たちの争いが永遠に続くとしたら? 
その渦中の人はどんなに大きな力を持っていたとしても、やがてウンザリしてくることでしょう。
彼らはやがて目標を忘れ、早くここから出たいと思うようになるでしょう。
しかし、そこから出られないとしたら? 
しかも次から次へ、自分をせっつき、押し倒し、踏みにじる人たちが来たら? 
このような世界が「地獄~0次元」なのです。これが地獄のことを俗に「無限地獄」と呼んだりする所以なのです。

●地球に生まれ変わる意味

地獄から開放された者は悔い改めた者として、上の世界へ再び上げられるのです。
その「上の世界」とはこの地球のことです。
だから、この地球には現在でも地獄から這い上がって来た者が数多くいるのです。
いや、数多くどころかそのほとんどが地獄から上って来た者たちなのです。
西暦2000年現在でおよそ、80パーセントほどの人々がそうなのではないでしょうか。
なぜこんなに多いのかというと、近年の地球の歴史は戦争に次ぐ戦争で、多くの人間が加害者になってしまったからです。
現在でも戦争指導者や兵士、殺人者や極悪な強姦魔などは死後、地獄へ堕とされているのです。
しかし、考えてみてください。
このような地球の様子は、地獄の様子に似ていませんか?
金や権力のある者たちだけがのさばり、力のない者たちは虐げられている。
そして中東やアフリカなど戦地で生活している人々は正にそこが地獄なのではないでしょうか。
これは偽りのないことですが、地獄はこの地球上にも作り得ることなのです。
たとえそこが戦地でなくても、思いやりのない人々に囲まれて生活している人にとっては、その人の心の中に地獄が作られることもあるのです。
そして紛れもない事ですが、第1次大戦、第2次大戦、ベトナム戦争、イラク戦争・・・・など無数に戦争を起こし、互いに殺し合い傷つけ合い、他人を思いやらない人間が数多く住んでいるこの地球は、上の世界の住人たちからは「地獄」と見られているのです。
そして、上の領域に住む人々がもし大きな罪を犯すと堕とされる領域の1つが、この地球(この太陽系)なのです。
人間の魂は全てひとり残らず、外宇宙からこの地球へやってきた存在なのです。
やって来たというより、上の世界から下って来たと言うべきですが。

極一般的な人々は「地球」に帰って来ざるを得ないように出来ているのです。
それはともかく、現代の人類のほとんどは、この道を選びたがることでしょう。
なぜなら、地獄へ堕ちることはマッピラだけど、得体の知れない「天国」とやらへ行くのも不安だと考えているからです。
しかし、地球に生まれ変わることも楽ではないのです。
それは、人間は単に死後すぐに地球に転生するわけではないからです。
人間は死後まず、霊界に上ります。
(そこにも行かずに、霊体のまま地球に残っている者たちのことを俗に幽霊と呼ぶ)
この霊界とは天国のことではありません。
それは中継駅のようなものです。
そして、魂を清め切っていない人々は再び地球に転生せざるを得なくなります。
と言っても、その前に別の次元の世界に出生し、人生を送り、そこで死に、さらに別の次元に転生し、計2~3の平行世界で人生を送った後、ようやく地球に転生することになるのです。
しかも別の次元の世界は地球のように自由が利かず、制約された行動しかできないのです。
そこはいわば学校のような次元なのです。
そして、地球に生まれ変わる時、再び記憶を消され、赤ん坊となり、どのような劣悪な国に生まれるか分からないのです。
しかも、地球での人生は“試練”が目的なので、人類は常に心からの平安を持てず、常にトラブルに対処していなければならないのです。

現在地球には三種類の人間がいます。
地球に属して太陽系をぐるぐる転生している魂と、上から追い出された魂、そして神に依頼されて下って来ている使者たる魂。
現代。
二千年間の内に、地球に堕ちていた使者たちは大方、地球を去り、地球には上昇できなかった者らと、使者以外の悪の人々が残されました。
このような人々~キリストの言葉を聞いても改めなかった者らや、先住の悪人ら~が地球に残っているので、地球には争いが耐えないのです。
しかし、一方、彼らの中の一部の人々はキリストの言葉を聖書から学んだので、中には正義の人々もいるのです。

●天国

①天国への道はイエスが言っていたように、狭く細いのです。
ここに上るためにはまず、魂が浄化されていなければなりません。
しかも通常、浄化するためには何回もの地球転生をしなければならないのです。
地球生活で合格の印を押された者だけが平行次元ではなく、一段上の領域に昇れるのです。
(一度で合格する者は少ない。つまり幾度も並行次元を巡回しなければならない。
人によっては半永久的にこのプロセスを巡って、苦しみの人生を送っている)

こうしてようやく地球を克服して霊界を越えて上昇しても、そこはまだ1段上の世界に過ぎず、そこは天国ではありません。
人はその領域で人生を送り、さらに魂を浄化しなければならないのです。
そして、その人がその世界を無事合格すると、さらに上の世界に生まれ変わります。
しかし、ここもまだ天国ではないのです。
ただし、そこは「天国へのゲート」に例えることの出来る大きな領域で、そこを越えるといわば天国、神の王国、極楽浄土に入るわけです。
ただし、その前に人はその「ゲート」で生活した後、地球界に非常に良く似た世界(しかし、我々の地球界より上の世界)へ一旦、下りることになっているのです。
つまり、ゲートを潜るための最終テストのようなものです。
そのゲートを通るためには、あらゆる煩悩を捨てなければなりません。
ブッダが「煩悩を捨てなさい」と教えていたのはこのことがあるからなのです。
また、キリストが「金持ちが神の王国に入るのは、ラクダが針の穴を通り抜けるのより難しい」と表現していたのも、このことなのです。
「天国のゲート」の領域は地球よりも遥かに穏やかな世界です。
ただし、上に登るのがさらに厳しくなるのです。
つまり、上に行く程素晴らしい世界に入りますが、さらに上に登る道は一層狭く細くなるのです。
そしてその領域で地球人たちが辿るようなプロセスを辿って、合格したら再び「ゲート」に転生して、そこを無事に乗り切れば、ようやくゲートを潜れるのです。
ただし、不合格だったら、その世界でやり直さねばならず、大きな罪を犯せば地球界へ落とされることになります。

では天国~イエスが「神の王国」、仏陀が「極楽浄土」と呼んでいた世界~とは一体どのような世界なのか。
それは我々が想像するものとは違うと言えるし、また似ているとも言えるものです。
なぜなら人は意識してその領域を知ることは出来ない一方、その領域に住んでいた記憶が内在しているからです。
だから、以下の事を聞いても信じられない気持ちがある反面、そのような世界がある事をおとぎ話で聞いたような気にもなるものなのです。
我々の住む、地球のような世界は宇宙に(この銀河系内にも)無数に存在しています。
その全ての星から、カルマを克服した者たちが上昇して来て、天界で地球から上昇して来た者たちとも合流します。
彼らは皆、カルマを克服しているので、決して他者を傷つけることなく、他者を慈しみ、お互いに平和な社会を作っています。
だから、天界の住人は皆、善者なのです。
その世界が我々の世界と似ている点は、その領域で人は体を持つということです。
全く違う点は、彼らは2足で地べたを歩くことはないということです。
いわば、浮遊して生活するのです。
そして食べ物を心配する必要もないのです。
彼らの食べ物は精神のエネルギーだからです。
つまり善なる清い心を持ち続ける限り、彼らは生き続けられるのです。
そして彼らに「死」はありません。
体を捨てる時があり転生をしますが、意識が消えることがないので単に洋服を着替えて戻ってくるように、かつての知り合いと再会できるのです。
そして、更に意外に思われるかも知れませんが、この「天国」も永遠の安住の地ではないのです。
神は無限の存在で、神の創った宇宙も無限に思われるほどに大きいからです。
だから、この神の王国、極楽浄土と呼ばれる世界も終着点ではなく、この世界の人々にとっても更に上の世界が存在するということなのです。
だから、この世界の住人でさえ、罪を犯せばそこから追放され元の下の世界に追い返されてしまうのです。
現に今の地球にもこの領域から追放されて下って来た人々が、本人たちはそれとは知らずに生活しているのです。
あなたがその1人かも知れません。
では、なぜイエスがこの“途上”を神の王国と表現したのかというと、地球人たちにはそこがあまりに遠い世界で、あまりにレベルの低い我々にとってそこは遥か彼方の地球とは比べ物にならないくらい平安な地だからです。
そこより上に昇ることは、まずそこに来てから考えれば良いことなのです。
それ程地球人たちにとっては、そこへ上ることが難しいことだからです。
ということは地球(この太陽系)とは、遥か下方の世界ということになります。
無数にある最下端の領域の1つに過ぎないのです。

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