ぼくが見たサンクトペテルブルク 第7章 無愛想?本当にそう?
きっと無愛想も仕事のうちなのだろう。寒さで顔は凍りつき、態度も冷たくなるのか。お釣りやチケットはだいたいノールックで投げて渡してくる。本当は優しいと思うんだけどな、ロシア人。
市民とは違い、ペテルブルクの街はさまざまな顔をもつ。
古都としての顔。
革命の発信地としての顔。
数々の戦争での激戦地の顔。
そして芸術の街としての顔。
玉虫色の表情で、訪れる人々を次々と虜にする魔都、それがサンクトペテルブルク。
そんなこの都市を代表する、まさしく顔といえる観光地が世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館だ。ペテルブルクに旅行に来てエルミタージュ美術館に行かない人はいるんだろうか。いたとしたら、親の顔が見てみたい。
エルミタージュ美術館自体も幾多の顔を持つ。
そもそもが女帝エカテリーナ2世の宮殿で、同時に彼女のコレクション私設でもあり、二月革命後には臨時政府の本拠地の顔、第二次大戦時には野戦病院としての顔を持った。
元が宮殿なだけに、美術館内部は細かい部屋が数え切れないほどあるが、一つとして同じ設えが見当たらない。建築様式やら柱の材質やら化粧の手法などにより、全て異なる表情を見せる。
音声ガイドをもとに300万点の美術品を順番に味わっていく。
肖像画、肖像画、風景画、肖像画、彫刻、肖像画、肖像画、肖像画、肖像画、風景画、肖像画、肖像画、静物画、彫刻、貴金属、宗教画、彫刻、肖像画、彫刻、宗教画、彫刻、陶磁器、武具、風景画、彫刻、宗教画、肖像画、彫刻、風景画、肖像画、宗教画、彫刻、肖像画、宗教画、家具、肖像画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、肖像画、宗教画、彫刻、彫刻、彫刻...ミイラ。
序盤の肖像画ラッシュが凄まじく、兵馬俑じゃないが、一つくらい自分の顔があったんじゃないかと思う。それらをまともに一つ一つ鑑賞しようとして、あっという間に脳が限界を迎えた。飽きたとかじゃなく、過剰摂取。急性エルミタージュ中毒。
まず頭が情報を受け付けられなくなった。後半は絵から遠ざかろうとさえした。ダヴィンチは眺めるのが精一杯だった。ラファエロは見ていないかもしれない。全く覚えていない。
最後のほうにエジプトのミイラがあったが、こっちが死人みたいな顔してかすめ見るのがやっとだった。頭おかしいと思うだろうけど、本当におかしくなっていたと思う。
ちゃんと見られなかった作品が多すぎたので、図録を購入した。ここではもう簡単な英単語も想起できない。店員さんに「どこから来たの?」と聞かれて「アイムフロム.........ジャパン!」。郷ひろみの間だ。顔から火が出る。燃えてるんだろうか。逃げるようにして美術館をあとにした。
外は夜になっていた。本日の両A面のもう1つ、マリインスキー劇場でのオペラ鑑賞へ足早に向う。
バスでも行けそうだが、『地球の歩き方』をなくしたぼくはバスのシステムがわからないので、地球を歩くことにした。今は亡き『地球の歩き方』よ、君の「必需品:髭剃り(いっそ伸ばしてみるのもあり)」の教えのお陰で立派な無精髭が顔を覆ってるよ。
オペラの演目は『La forza del destino(運命の力)』。ここマリインスキー劇場で世界で初めて演じられた演目だという。
交差する異性愛、兄弟愛、肉親の敵討ちの果てに、主要な登場人物が全員命を落とす凄惨な悲劇。イタリア語もロシア語字幕(オペラって字幕出るんだね!)もわからないが、予習の甲斐もあり、ついていけた。5時間にも及ぶ演目で、台詞の一つもわからない人間を飽きさせないプロの技に、芸術のパワーに、恐れ入った。
芸術のパワーは実に強大だ。
鉄壁のロシア人たちの顔は、およそ悲劇を鑑賞した者のそれとは想像もつかないほど晴れやかだった。なんだ、やっぱり無表情は「仕事」だったんだ。5段重ねのハンバーガーみたいな客席が、一本の串で貫かれたように1つになった。またしても禁バーガーを破ってしまった。
頭も体も疲れきった帰り道、久々におそロシアに出くわす。客引き。目が合ってしまった。断ってもついてくる巨漢。お前は優しい熊じゃない。ただの人喰い熊だ。目線を逸らさないよう、後ずさりのようにして逃げる。
今日は逃げてばかり。5マス戻る。
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