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ふと、昔の自分を取り戻したい衝動に駆られる夜

窓に映った自分の姿を見て、誰?ってふと思った。

昔の可愛かった自分はどこに行ったんだろう。周りにいつも「なおちゃんはいつも笑ってるね」って言われていた無邪気な頃の自分。いつからいなくなった?中学に入ってからか、高校生になってからか。いつからか自分の笑顔が嫌いになった。歯を見せないで微笑むことができるようになった。いつからだ。

私の可愛さのピークは小学4年生だと自負している。周りを気にすることなく自分の好きな服を着て、目の際までニット帽を深く被り、イヤーカフをつけ、夏はヒールを、冬はブーツを毎日履いていた。母に前髪を作ってみたらと言われても断固拒否して自我を貫き、母のネイルを勝手に漁ってよく爪にお花を描いていた。右の爪に描くときは器用に左手を使って。

26歳になった今思い返してもその頃が私史上一番お洒落に目覚めていたと思う。(今はネイルなんて興味もなくなり、髪はボサボサ、ピアスは毎日同じシンプルなもの、服はパジャマのようなダル着が多い。。。)

笑った顔も今と全然違う。もっと無邪気で屈託のない笑顔だった。ずーーっと笑っていたあの頃。なんと言っても笑い皺の場所が今と全く違う。母がよく「なおちゃんが小さい頃にモデルでもやらせれば良かった」と言っていたほどスタイルも良かった。それが今ではスタバ通いにお菓子の食べ過ぎでタンクトップを着ることすら躊躇するようになってしまった。

人は成長するほどその人の人格、人生、性格がそのまま姿形になって滲み出てくると昔からよく聞いていた。それが確信に変わったのはルワンダにいた頃、大統領のカガメさんの顔つきを見た時だった。日本の安倍総理のふんわりした平和そうな顔つきと正反対に、カガメ大統領の顔は強くて逞しかった。虐殺から復興まで文字通り死ぬ気で国をまとめ上げた彼の人生が、顔つきや佇まいに見えた気がした。

人格が顔に出るなんてそんなもの50歳ぐらいになってからだろう、と高を括っていたのに、26にしてもうすでに自分の顔つきが変わってきていることに気づいてしまった。シンプルにビビっている。そういえば、ウクライナのゼレンスキー大統領の顔つきも、ロシアに占領され始めた頃からどんどん強くなっていった気がする。人はそんな短期間でも顔が変わるものなのか。

今の自分の姿は、なんだろう、覇気がない。輝きがない。ぬるっとしている。本気で何かに真剣に取り組んだこともないくせに、運よく良い会社に入ってぬるま湯に浸かり、流れる毎日にただ省エネモードで浮かんでいるだけ。都会に出るとストレスで蕁麻疹が出るのでできるだけ引きこもり、友達との約束はブッチしたい衝動を抑えながら頑張って行く。こんな平和な人生を本当に反映させたような顔つきになった。

カガメ大統領のように内から出る強さを反映させたいわけではないが、ただ本来の自分を取り戻したくなった。狭い世界で人生を精一杯楽しんでいたあの頃の自分を。何が楽しかったわけでもないのに毎日笑ってたあの頃の自分を。

もっとキラキラできるはず。
もう少し本気で生きてみようかな。毎日いっぱい笑ってみようかな。

なんて思った一人の夜です。


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