心豊かな日々・旅びとの無職日記
何年振りかの長期の無職期間を享受している。
大好きな旅には出られない世界的状況下だが、毎日こころは晴れやかである。
ただ、大好きなテレビと本と漫画とお酒、これらを楽しむ時間で埋め尽くされた日常を過ごしていると、いつのまにか気づけば贅沢にも飽きが来ていた、、、。
こんなことは仕事をしている時は思いもしないことだった。
そして、逆ストレス??
下半身にぶつぶつというか、アレルギーのようなものまででてくるしまつ。
え?こんなに自由に過ごしているにもかかわらずこんなことになっちゃいます??
てな感じで一瞬、あわてふためきそうになったが、なんせ暇なので、ゆっくりと自然治癒できるな、、と。
寝れなければ寝ないでドラマ見たり本読んで過ごせるし、明日は予定も無いし、と気も楽だ。
仕事をしていた時は、明日も仕事なのに寝れない!!と余計にこういったことがストレスになり、怒りすら感じていた。寝不足のまま電車に揺られ、、治りも遅かったかな。
でも今は、、こんな時のストレスもまた、暇つぶしなるのかなあと、のんびり構えている。
それくらい、日々にやること、など目標、などつくっていない。
でもそろそろ、これやりたーい、をみつけていきたいなあ、、とのんびり思っていた。
自分の人生は32歳まで、親の目線を過度に気にしながら過ごしてきた。
でも、心の叫び声が鳴り止まず、、
勇気を出す、ということに三十路を越えるまでかかってしまったけど、その親の意思を無視して自分の意思を通せたのがそんなおとなの年齢になってから。
でも、清水の舞台から飛び降りるよりももっと、、東京タワーのてっぺんから飛び降りるくらいの覚悟決めた勇気を出して、出せて、、、そして今がある。
心のどこかで頭の片隅で、なんとなくわかってはいても、自分らしい選択や、自分の心の声に従うなど、自分を中心に据えた考え方や生き方がどうしても選べなかった。
でも、このままでは自分は自分じゃない人生を歩んでて、このままだとこれからもそんな生き方をすることになる、でもそれは本望じゃないんだ、と心の声を爆発させた。
一方、親はそこまで子どもを屈服させた生き方をさせてないと思い込んでいるから、まともに話し合っても勿論平行線。話し合い、ではなく、威圧的な封じ込めしか起こらない。
でも、縁を切ってでもこれは自分のやりたいことや親の意向を汲まない生き方を貫く!と決めた。
人って簡単に勇気を出そう、とかいうけど、それってなかなかですね、、
と、大きな決断をするとき、震えるくらい緊張する自分を感じたらいつも思う。勇気って、それを出すって、それを振り絞るって、、とにかく自分にとっては簡単なことじゃないな、すごいこと、なんだよな、と。
勇気を出すなんて簡単ですよ、という人もいるかもしれないけど、とりあえず自分は、例えば仕事を辞める決断をするのも、めちゃくちゃ勇気が必要。
逆に仕事を決める決断をする方が、まだそこまでの勇気を振り絞ってはいないかもしれない。
頭でわかってる、でも心は納得してない、ような時、ある時から自分は心を優先することに決めた。
頭の判断はきっと、その状況には相応しい。けれど後悔しない決断結果はきっと心の方が未来の自分の気持ちを汲み取っているはずだ、と。
自由だけどなんとなく不自由でもある今、あの32歳のときの決断が今の自分に繋がっていて、どんな状況にあっても自己責任で生きている、という、一見当たり前の社会人の在り方が、自分らしく自分の責任でこれからもやっていく、という意志の継続となっていることに、たまに振り返って、『良かった、今の自分で』と自己肯定感がめちゃくちゃ高まるのだ。
何をしていても、自由だ。
何を選ぶのもまた自由。
笑顔で楽しく日々を重ねていくことが、自分を愛し、充実した時間の重ね方。
歳を重ねながら、ときどーき、お酒を飲みつつそんなことを振り返る。
心豊かに今日を生きている。
今日も生きている。
今日のおやつは、、マリトッツォを買ってみようかな。