こだわりを発揮するという事
なぜ、あの人はいつも
〝酸性水“にこだわるのだろうか?
これは、私が勤務している病院の先生の話だ。
今回のコロナの件で私の病院でも色々と対策をしている。その先生はいつにも増して、自身がこだわっている酸性水について勧めてくる。
私はよく知らないが、何やら酸性水は顔を洗ってもいいくらい自然に優しい。そして掃除に使っても効果は抜群だそうだ。
『酸性水の有用性については、あまり無いと言われてますが、それは違うと想います』
全体朝礼で言い放った言葉。
きっとその先生が知る酸性水には、私達の想像を遥かに超える位、心を動かす何かがあったのだろう。
先生が訴えるおかげもあり、病院では酸性水で掃除をする事が一般化している。
その先生は、趣味で畑をしている。
私が所属するしているリハビリ科にも、よく差し入れとして持ってきてくれる。
『リハビリの人はなんでも食べてくれる』
そう言ってたみたいだが、本当になんでも持ってくる。
下処理した美味しいタケノコから、
腐りかけの野菜まで。
なんでも食べているわけではない。
食べれそうに無いとこは処分しているのだ。
そんな事実は、先生は知る由もない。
笑顔になる事もあるが、
時には、苦笑いになる時だってある。
そんな事とは梅雨知らず、
先生は、懲りる事なく野菜を差し入れにきてくれる。
こだわりは、誰しも少なからずあると想う。
もし、先生のこだわりの酸性水を家の中だけで使おうとしてたなら。
もし、こだわりの野菜を家族の中だけで食べていたのなら。
病院では酸性水は浸透しなかっただろう。
美味しいタケノコをもらって喜ぶ事もなかっただろう。
きっと、酸性水が病院を救う。
きっと、この野菜達がリハビリ科を笑顔にする。
そう確信しているのであろう。
それはきっと先生の優しさ。
自分だけのものにせず、周りの人にも喜んでもらいたい。そんな先生の優しさ。
しかしその反面、先生は腐りかけの野菜を処分しているなんて事知りもしない。
ある日、腐りかけの野菜を欲しがったあるスタッフが言った言葉。
『畑の肥料にするから持って帰るよ』
そうだ!腐りかけの野菜は行き場がなく、私達を悩ませる存在だと想っていたが、発想次第では生かされるのだ。
こだわりを発揮する、披露するという事は
きっと相手を幸せにしたい。
笑顔にしたい。
そんな気持ちが溢れていることなんだと想う。
でなければ、一人でこだわってやっいればいいだけの話しだ。
想いを行動できると言う事は、出来そうでできない。相手の事を考えすぎて、できない人も沢山いる。
だからそれは、先生なりの優しさ。
そしてこの様にこだわりがあるから、オリジナルは生まれる。
その様なキャラクターだから、個が光るわけであって、価値観が知れるのであって、その人なりの優しさが伝わる。
そのこだわりを自分だけのものにしていれば、きっと私達は、
『先生は酸性水を気に入ってて、自分で作った野菜を食べさせてあげたいと想っている。』
そんな優しい気持ちを持った人だとは気づきもしなかっただろう。
しかし、その反面こだわりを受け取った人は、どう感じているかわからない。
時には必要のない腐りかけの野菜を、その人に見えないところで処分しているかも知れない。
しかし、受け取りにくいモノでも発想次第では受け取って喜べるモノに変わるかもしれない。
そのように、時にそのこだわりは、相手にとっては当の本人と同じような解釈では受け取れてないままになっているのかもしれない。
こだわりを提供する側が、その相手に少しでも焦点を当てて気をつける心が有れば、最大限の自分なりのこだわりを発揮できるのではないだろうか。
そして受け取る方も、最大限の方法で受け取る工夫をする。
そうすると、互いが笑顔になれるのではなかろうか?
私も知らず知らずのうちに、この様なこだわりの提供になっている時があるかもしれない。
私自身も気をつけよう。
こだわりを発揮するのは
簡単な様で難しいのかもしれない。