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パワースポットという言葉

 パワースポットねえ、noteの下書きにタイトルだけ書いて、放っておかれていました。何でこんなこと書いたんだっけ?記憶を探ってみたところ「神奈川トラストみどり財団でかながわのみどりや森林におけるパワースポット・癒やしスポットを募集しているよ」って、趣味でやってる自然観察の仲間が教えてくれてたのがきっかけでした。それまで「パワースポット」って単語だけ知ってる、という程度でしたが、これを機に少し考えてみようって下書きに入れていてすっかり忘れていたのでした。

 まずはお決まりのGoogle検索。Wikipediaでは、荒俣宏さんの言葉を引用して「大地の力(気)がみなぎる場所…昔から大地の力を得ようとする試み…日本で言えば"熊野三山詣で"がとても古い事例」とのご説明がありました。All Aboutでも「パワースポットやスピリチュアルスポットなどと呼ばれるようにもなった場所は、本来は信仰の場であって自然崇拝が行われていた場であったところが多い」とされているそうです。Wikipediaにはさらに「パワースポットは本来厳しい修行を経た修験者のみが得られるはずのご利益を、老若男女、その場所を訪れるだけで得られるというもので、パワースポットに付随する"伝説"は集客に一役買った」というような内容も記載されていました。伝説は今でいう宣伝文の役割を担っていたんですね。
 パワースポットという言葉は和製英語ですが、修験場のようなスピリチュアルな場所は世界中にあるそうで、例えば米国のセドナが代表的だそうです。現在私がいるオーストラリアのウルルもアボリジナルの方々の聖地なのでパワースポットに該当するのかもしれませんね。日本で一番のパワースポットと言えば富士山だそうです。私が出不精の極みな人間だからかもしれませんが、パワーをもらいに富士山に行くのって大変そうです。ウルルだってオーストラリアの真ん中あたりにあるので、飛行機か長距離ドライブでしか行けないです。アメリカ大陸は行ったことすらありません。どれも気軽にひょいっと行けるところじゃないですよね。だからいっそう神聖さが増すのかもしれません。

 スピリチュアルな部分はよくわからないし、繰り返してしまいますが、出不精なので、絶景でも映像を見ればだいたい満足するし、興味深い伝説があるぐらいじゃ到底そこまで行こうと思いません。でも、大地の力がみなぎる場所、大地から力を得ようという試み、というのはちょっとわかるかもしれません。多くの人にもあると思いますが、私にも少し元気のない時に、そこを歩くと回復するようなお気に入りの散歩道があります。私のパワー散歩道は、基本、森の中で、人が歩くようにしつらえてあるフットパスです。家から歩いて10分弱で森の入り口に到達し、隣の駅までつながっているので、通勤の一部として活用したり、帰りに買い物したりととても気軽にパワーをいただきに行けるので重宝しています。
 書いているうちにもう1箇所思い出しました。子供の時に住んでいた家の庭です。カギっ子だったのですが、よくカギを自宅におき忘れて両親が帰るまで庭で過ごさざるを得ないことがありました。幸いに30年以上も前の、のんびりとした時代、さらには温暖な気候の田舎だったので、庭で長時間、1人で気軽にボーッとできたのです。庭に適当に植わっている植物を眺めたり、てんとう虫やアリを追いかけたり、空に浮かぶ雲を眺めたり、思い出してみても、心にサーっと風が吹く感じがして、締め出しの悲壮感はあまりなく、幸せな時を過ごしていたように思います。

 散歩道を歩いている時の気持ちと、子供の時の庭で過ごした時の気持ちは結構似ています。共通することを敢えて探すと、「変化」しているものを見るというのが楽しいんだと思います。散歩道は森の中なので、芽吹いたり、花が咲いたり、夏には草丈の高いところをかきわけて通っていったり、しばらくすると実がなって落ち葉になって冬芽が出て、また芽吹く、1度として見るものに同じものはありません。そんな変化を追いながら歩いていると、歩く前にあった心のモヤモヤがいつの間にかスーッとするのです。子供の頃の庭で過ごした時間もそうかもしれません。適応しているように見えても学校での集団生活を過ごすと、1日の終わりには幾ばくかの澱が心に溜まっていたのでしょう。それを流れる雲の変化を眺めながら、脇にうっちゃることが出来てたんだなって思います。悩みがあったら海へ行っていた学生時代の友人がいました。リズミカルに寄せては返す波の変化を目でおっかけながら、モヤモヤしていたものを洗い流していたんだろうなと想像します。少ない事例ですが、このことから、今のところ、「大地の力」ってニアリーイコール「自然の織りなす変化」のことかなあと仮説を立てています。

 パワースポットについて思いをはせて、子供の時の時間なんかを思い出していたら、今なんだか幸せな感じです。スピリチュアルな部分はよくわからないと前述しましたが、パワースポット、結構パワーあるかもって書きながら気持ちが変化してきました。森の散歩道や子供の頃の庭を小さなパワースポットだとすると、富士山、セドナそしてウルルのようなワールドワイドな場所は大きなパワースポットと言えるかもしれませんね。小さなパワースポットでも個人の反芻に耐えるのですから、大きなパワースポットの風景からは、多くの人がその風景を思い出しながら幸せな気持ちに浸るのかもしれないなあ、そう思えばすごい場所だなと思いました。一生に1回ぐらいの気持ちで訪れて、そこで得たいい時間を思い出すのも素敵なことだなと思います。

 大きなパワースポットには中々行けないけど、私のこれまでを振り返って、気がるに行ける小さなパワースポットがいつでも近くにあってよかったなあって思います。もしかしたら、へっぽこでもランスケ続けてる原点かも、、、なんて思ったり、いや、きれいにまとめすぎました。

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