「日本縦断2800キロ」の話題をみて登山家・栗城史多さんの取材をしたことを思い出した話
2021/10/25、沖縄を起点に徒歩で日本縦断をしようとしている18歳がトレンド入りし炎上していた。※10/27、中止の旨本人のInstagramに投稿されました。
記事の担当をした記者さんは、きっとこんなことになるとは思ず記事にしたのではないだろうか。
そして、この話題の中で「登山家・栗城史多さん」という名前を見かけた。思うことがあったので、諸々書いておきたいと思う。
炎上のきっかけは、この記事だと思われる。
燃えた方向性はこんな感じ。
基本は「認識の甘さ」「知識&準備不足」の指摘が多い。問題とされてるのは
・基本徒歩&野宿
・軍資金はクラウドファンディングで集めた10万円
・トレーニングや装備が甘い(3kgの荷物でトレーニングと新聞に書かれている)
・冬に沖縄→北海道という北上ルート
・豪雪地帯の日本海側を行く気満々
など。
意見を抜粋すると、徒歩じゃなくて乗り物を使うべき、野宿じゃなくて宿泊施設にすべき、冬はヤバイから「時期の変更」「装備の拡充」「ルート選定」を検討すべき、etc…。率直に言うと正論が多い。ぶっちゃけ試される大地民な私も、諸々で書かれている条件に忠実に実行し、意地と根性が行き過ぎた場合は死んでしまうだろうな、と思って見ていた。
ただ綿密に考え準備してたら実行なんてできない!と本人が思う気持ちもわからなくはない。そもそも、この本人(Instagramのアカウント名が「ゆうわ #徒歩で日本縦断する18歳」さん、というみたいなので、以下「ゆうわさん」と表記)が開示している情報が割と少なめで、日本縦断のルールがイマイチはっきりしない。そのため「きっとこうだろう」で叩いている人や、最悪の想定をしたうえで「思いとどまってほしい」という善意からキツイ言葉を送り付けているも結構存在する。さすがにそこまで言わなくても…というものも多い。
では、あの新聞記事は記者として、ライターとして、燃えない書き方をできたのだろうか。
※注・私は本職の正社員で働く記者ではない。週に数本、「これ、いける?」と会社から連絡をもらいイベント取材に行くのがほとんど(難しい話題は扱わない)の「ゆる記者」だけど。一応記者。
まず、今回の記事は1000字程度。web記事でこの手の「人」にスポットを当てた記事を書こうとすると、少なくても2000-3000字以上のインタビューになることが多い。1000字、となると「え、短っ!」となるライターも多いはず。かなり凝縮されているだろうし「ゆうわさん」はもっといろいろ話していて要約されているだろう。でも、これはwebライター目線。琉球新報さんはホームページで紙面を見た感じ1行14-15字ぐらいだと思うので、60-70行ぐらい。新聞紙面としてはまあまあ大きい扱いだったのではないだろうか。
※函館新聞でたとえると、土曜トーク(個人的には普通の記事と比べ結構体力使う…)よりちょっと小さい、ぐらいの扱い。体感、1時間弱お話を聞いて、本当に大事なことしか入れられず地団太を踏む感じ。
記事が炎上した原因は「ゆうわさん」のチャレンジを全面的に肯定しているように読めてしまう記事だったからではないかと思っている。
ただ、本人の話を聞いて事実を書く、となると否定的なニュアンスで書くのもなかなか難しいもの。行数(字数)上限が決まっている記事であればどこを削るか、という問題も出てくる。具体的な数字を濁せば「なんか頑張ってトレーニングしたんだろうな」と思わせぶりな感じに仕上げることは可能だろう。が、要は「盛る」ということだ。それは報道としてどうだろう、という話になってしまう。そして、「」のコメントは「ゆうわさん」本人のSNS等とも似た雰囲気を感じるので、おそらく記者さんは「本人の言う通りに書いた」のだと思う。
もしも、行数(字数)上限が決まっていないなら、両親をはじめとした、「心配している大人」のコメントを載せておけば、ちょっとは炎上防止になったかもしれない。「○○~な理由で心配している。まずは無事に帰ってきてほしい」「他人に迷惑をかけてしまうのでは…」ぐらいであれば、あの記事に加筆されても不自然ではないはずだ。
ここまで書いていたら、延期の噂が目についたので検証はこのぐらいに…
※10/27追記※中止決定したそうだ。
機会があれば、夏なら、安全に留意の上再チャレンジしてほしいな、とは思う。
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さて、「ゆうわさん」の話題がTwitterで取りざたされている際、複数人から例にあげられている人がいた。1人目が、
雪がある富士山で滑落し、亡くなった男性。私もTwitterに流れて来る心配している人の声を、リアルタイムでで見ていたので鮮明に覚えている。
そして2人目が、エベレストで亡くなった、登山家の栗城史多さんだ。
実はこの方、函館から車で2時間ほどいったほどのところにある、今金町のご出身。その縁で、何度か函館にも講演に来ていたことがある。そのうちの1回、取材を担当した記事が、今でも電子版に残っている。2016年12月4日の講演だった。(有料版のため、写真と見出しだけで失礼します…)
たった450字の記事。末尾は
「自分で限界を作ってしまったり、周囲の言葉による『否定の壁』にさえぎられることがある。周りはぜひ否定をせず、励まして信じてあげてほしい」と訴えていた。
と結んでいた。当時のことすべてをはっきり覚えているわけではないし、取材ノートも引っ越しでどこかにいってしまった。
こういう小さな講演会の取材は、さらっと話者について調べた上で取材に行く。が、特段問題が無ければ主催者の資料と本人の話、来ていた人の感想で原稿を書いてしまうことが多い。ただ、この時の私は講演の内容でよほど何かが引っかかったのだと思う。取材後にインターネットで彼の評判を含めた情報をそれなりの時間をかけて調べた。そして、彼が話した「単独・無酸素登頂に成功して」という部分に議論があることを入稿前に把握していた。そして、本人が話していたまま書いて良いのか迷い、最終的には上長に申し送りの上、本人申告の通り記載した。それだけはよく覚えている。結局「本人の言う通りに書いた」のだ。
無理矢理な感も漂う周囲の後押しによって「無謀」と言われる、この“挑戦企画”が打ち立てられた結果、栗城さんは崖っぷちに立たされた挙句に最後は突き落とされてしまったような気がしてならない。
栗城さんは、とても上手に、わかりやすいプレゼンテーションをされていた。登山家と聞いて取材に行ったので、もっと朴訥とした、お話が苦手な人を勝手にイメージしていたためギャップがあった。あの講演を聞いていた若い子は、きっとすごく励まされて、そして相手を肯定する大切さを心に刻んで帰ったと思う。
取材から間もなく5年が経つ。でも私は、あの時書いた自分の記事が正しかったのかどうか、今でもわからない。
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