可能性に満ちた1095日間に向き合う仕事 #あの選択をしたから
教職が、敬遠される職業となってしまった。
部活動や長時間労働、やりがい搾取、色々な言葉でネガティブなイメージがすっかり定着してしまった感がある。
私だって、これまで「辞める」チャンスはあったはず。でも、なんだかんだ言いながらも、辞めずに続けてきた。
その理由は、何だろうか。
これまで出会ってきたたくさんの生徒たちや、学生たちのことを思い返してみた。
人生に1度しかない3年間。
たかが3年間、されど3年間。1095日間の青春。
13歳。思春期の入り口で混乱し、悩み、ぶつかり、傷つく不安定な日々。
そこから成長し、心身ともに大人になっていく。
怒涛の3年間、1095日を経て、
彼らが卒業していくときに見せる成長した15歳の姿とありがとうの言葉たち。
そして、成長した彼らに再会する喜びが、私をここまで連れてきてくれたのだ。
昨年、異動してきてすぐ、1年間だけだったけれど、中3を担任した。その学校では、教科担当が3人いたので、それぞれ自分の担任する学年を担当することになっていた。
自動的にわたしは、3年生の英語担当になった。
これまでの学習経緯も知らず、たった1年で受験対策をしなければならないのだ。
中学校の3年間は、どの教科も同様だと思うが、学年によって内容のレベルがずいぶん違っている。英語はどちらかというと「積み上げ型」の教科なので、1年、2年と続けて教えた方が効果的なのは明らかだ。
教え方も違う、内容も難しくなる、慣れないことばかりで、最初は私も苦労したし、生徒たちも大変だったろうと思う。
勉強の量も質も、今までとはずいぶん違っていたし、テストが多かったり、課題が多かったりで、生徒たち自身も苦労したのではないだろうか。
それぞれの進路に向けて入試もひと段落した3学期最後の授業に、私はいつもアンケートをとることにしている。
この1年、英語の授業を受けての感想や意見を書いてもらった。
その中に、こんな言葉があった。
「僕にとって、先生の授業を受けられたこと、先生に出会えたことは、自分にとってプラスにしかなりません。1年間、先生に英語を教えてもらえて、本当に良かったです。ありがとうございました。」
この言葉を見つけたとき、嬉しくて震えた。
職員室にいたから、泣くわけにもいかなかったけれど、油断したら泣きそうになった。
私たち教員の仕事は、生徒たちに「生き方の選択肢を広げる」ということなのだと思う。
「あのとき、あの人に出会えたから、今の自分がある」と、卒業していった生徒たちが、いつかどこかで語ってくれる。
それが何なのか、いつのことなのか、今の私には一つもわからないけれど、
それを信じて関わり続けること。彼らと過ごす日々の中で、彼らにとっての「選択」になるきっかけを見つけてくれたらと思い続けてきた。
わたしも、様々な「選択」を重ねてここまで生きてきたはずだ。
たくさんの人に出会い、迷ったり、後戻りもしながら、「選択」を積み重ねてきたのだと思う。
あの選択をしたから、こんなにキャリアアップした、などというドラマチックなエピソードは私自身にはないけれど。
教員でいるということは、常に「新しい出会い」に恵まれるということ。 でも、一方で、たった3年間という短い時間に、彼らに教えられることは限られている。
その限られた時間の中であっても、彼らの未来に育つ「何か」を手渡すことができたなら。
教育は、タイパが悪い。コスパも悪い。
いつか、彼ら自身の中にある「タネ」が芽を出し、実を結ぶことを信じる。
目に見えない、彼らの「可能性」を信じ続ける強さと忍耐力が私たちには必要だ。
でも、その小さな芽を見つけた時の感動と喜びがあるから、
わたしは教員を続けられている。
日々成長し、何にでもなれる可能性でいっぱいの君たち。
「中学校の時、あの選択をしたから、今の私がある。」
この言葉を、いつか再会した君から聴きたいと願いながら、
今日もわたしは、教壇に立つ。
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