「還元葬」という弔い方
那珂です。
今日はいきなり何だ??と思われた方も多いと思うのですが、
今日目にした新聞で、お葬式というか、死後の葬り方についての記事を読みました。
#Natural Organic Reduction(自然有機還元葬)
#ヒューマン・コンポスティング
初めて聞いた言葉でしたが、その内容を知って納得しました。
現代の日本では、火葬が一般的ですが、
アメリカでは、遺体を土に還す方法があるそうです。
遺体を箱に入れ、ある一定の温度と環境を保たせて、時間をかけ微生物に分解させていくのだそうです。
2ヶ月もすると、遺体は跡形もなくなり、茶色い土になるのだそう。
遺族は、その土をどうするかを決められます。
持ち帰って、保管するか、その土で家庭菜園をするか(!?)、森林の腐葉土として使ってもらうかなど、使い道はさまざま。(笑)
アメリカの場合、腐食処理を施した遺体を、金属や木製の棺に収めて土中に埋めることをしてきました。最近は、火葬を望む人もいるらしいですが、火葬は燃やすときにエネルギーを消費し、さらに二酸化炭素を出してしまいます。
土に還す方法は、これらの方法よりもエネルギー消費が少なく、二酸化炭素の排出量もずいぶん少ないのだそうです。
あー、私これがいいわ。
オットさんは、「火葬したあと、海にまいてほしい」なんて言っていましたが、私はどこかでやだなあと思っていました。
だからといって、墓に入るのも、もっとやだな。
私は早くに母親を亡くしたので、母の墓があります。
父親がつくったのですが、父親はとりあえずこの墓に入りたいみたいです。
でも、うちは娘2人なので、ある程度時間が立ったら「墓じまい」をしようと考えています。
「墓があるから、どこにもいけない」なんて思わせたくないし、
どうせ出ていってしまうんだから、家がどうこうとか、もうそういう煩わしいことから開放させてあげたいと思っています。
で、わたしたちはというと。
オットは、実家のあるところに家のお墓があるのですが、まあそっちに入ってもいいし。
いわゆる「自然葬」ってやつもありますが、それはそれで面倒くさそうだし、私自身は海に撒かれるのはなんだかヤダなと思ってきました。
「北の国から」の最終話で、五郎さんが森に入って死のうとするエピソードが出てきます。
野生動物は、死ぬ間際になると群から離れ、ひとりになると言います。
どこでどのように死ぬかを自分で決めて、自然に還る準備をするのです。
土に還る、という言葉を聞いたとき、私自身の中にストンと落ちた感覚がありました。
その機械(?)では、遺体が土に還るまでの時間が2ヶ月ほどかかるのですが、その間に遺族が何度も機械の所へやってくるのだそうです。二人分のコーヒーを買ってきて、一つを遺体の入った箱の上に置き、そこでおしゃべりをしたり、音楽を聞いたりして帰っていく人の姿を見て、開発者の人たちは死を受け入れるための「時間」が、実はとても大切なものなのだということを知ったそうです。
家族や大切な人の「死」を受け入れるのには、時間が必要です。
タイパ、コスパが良い今の「葬儀」システムは、残された人たちにとって本当に「悼む時間」を与えてくれているのだろうか?
私が母を送ったときに感じた強烈な違和感と、寂しさと悲しさは、その後も払拭されることはありませんでした。
娘たちには、ちゃんと死と向き合い、静かに「悼む時間」を与えてあげたいと思っているのです。
葬儀というものは、他人様のために行うものなのかもしれませんが、このコロナ禍で、人々の意識が変わって「家族葬」という葬儀が一般的になりました。
弔いの方法が変わることにより、「葬儀」は誰のものなのか?ということも変わってしまったのかもしれません。
亡くなってから、たった7日間で骨になってしまい、時間に追われて葬式を出さなければならない遺族は、悲しんでいる暇もないのです。
それが去って、一人になったときにやってくる喪失感をどうやって乗り越えるか。いつ、どうやって乗り越えられるのかなんて、わかるはずもありません。
私のように、上手に乗り越えられず、葬式に対してトラウマを抱えている人はそんなに多くないのかもしれませんが、自分にとって納得できる「葬」のあり方を考えておくのもトラウマ克服のために必要なことなのかも。
「土に還る」方法は、今の所アメリカの幾つかの州で合法化され、実用化されているようですが、私が死ぬ頃には、日本でもできるようになっていてほしいです。
「自然有機還元葬」「還元葬」、または「エコ葬」という葬法。
約90万円で土に還ることができるこの方法を、
私は、自分の最期に選びたいと考えています。