【演奏予定のプログラムノーツ公開します】7/20 音楽と旅#9 バッハとシューマン〜ライプツィッヒと音の旅路
ご覧いただき、ありがとうございます!
ピアニストの吉村直美です♪
『音楽と旅』リサイタル・シリーズ第9回目の開催が迫ってまいりました🎹
当日、お配りされるプログラム用紙には、解説について記載されませんため、こちらで掲載させていただきます。
作品への解釈は、多種多様ようですが、ここで、私一個人の解釈と分析のごく一部を公開したいと思います。
とはいえ、長文ですので💦
ご興味ある方は、気になる曲のみでも抜粋でお読みいただけますと幸いです。
※PCからご覧いただくと、目次から直接、ご希望の箇所へ飛んでいけます。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第6番BWV 851 前奏曲
▪️バッハが生きた時代
作曲者のバッハはドイツに生まれ、日本の江戸時代初期から中期にあたる時代に活躍した人です。
ドイツでは、神聖ローマ帝国と呼ばれた時代に、ハプスブルク家のヨーゼフ1世が皇帝に即位して間もない時期でした。スペイン継承戦争が継続しており、希望と混乱が交錯していた状況だったとも想像されます。
▪️作曲時のバッハの状況
バッハが、ドイツ・ライプツィヒで音楽総監督に就任した同じ時期に第1巻全曲が完成しています。
ライプツィヒでの音楽総監督の任務には、後世の音楽家を育てるという責任もあったため、バッハは常に、若い世代の発展に貢献しようと努めていた時でもあります。
▪️バッハによる記述
実際、バッハ自身による直筆が、下記のように残されています。
まさに、音楽の文字通り、音を楽しむことを様々な立場の人達へ伝えようとしていたことが伺えます。
▪️曲の内容
平均律とは?
鍵盤楽器が様々な調性で演奏可能となるよう「良く調整された(well-tempered)」という意味です。
バッハが生きていた時代は、純正律という調律のみなされており、鍵盤楽器で同時に音を鳴らすと、不協和音として響いていました。
当時、平均律は存在しなかったにも関わらず、バッハは、『後に広まる』という想像のみで作曲したそうです。その偉業には感嘆せざるを得ません。。
前奏曲(プレリュード)とは?
架け渡しという意味でもあり、当時は、教会で礼拝が始まる前の個人的な祈りの時間に流れる音楽としても、作曲されていたそうです。
常に繰り返される三連符は、譜面上で十字架のモチーフといわれる音形がたくさん登場します。
鎮魂を意味するニ短調に合わせ、このモチーフを残した作品からは、許しを懇願する厳粛な祈りとも捉えられます。
実は、シューマンが、この作品に影響を受けて、『クライスレリアーナ』作品16の1曲目を作曲しているため、プログラムの第1曲目とさせていただきました。
詳細については、後述します。
シューマン:クライスレリアーナ作品16
▪️作曲された当時の状況
ドイツ出身🇩🇪(当時はプロイセン王国)の作曲者のロベルト・シューマン(1810年〜1856年)が生きた時代は、
それ以前に主流だった古典主義による理性偏重、合理主義と捉えられた主義などに対し、感受性や主観に重きをおいたロマン主義が精神運動として起こっていました。
その動きは文芸・美術・音楽・演劇などの芸術分野に及び、ロマン主義という思想の中で相互に影響し合っていました。
とりわけ、シューマンは文学と音楽の結びつきに影響を受け、文学作品から多くのインスピレーションを受けて名曲を残しています。
▪️作曲時のシューマンの状況
結婚を目指していたロベルトとクララに対し、クララの父親ヴィークが猛反対をしたことにより、最後は裁判沙汰になるほどでした。
この作品は、初めクララに捧げられていたのですが、クララの父フリードリヒ・ヴィークの間で、激しい議論が起こっている最中だったため、クララは自分に宛てた献辞の変更を要求するほどでした。そのため、フレデリック・ショパンに献呈されています。
▪️クライスレリアーナとは?
シューマンが多大な影響を受けていた作家E.Tホフマンが書いた小説『牡猫ムルの人生観』に、登場するクライスラーという名の楽長の伝記にインスピレーションを受け、題名に文字を盛り込んだ言われています。クライスラー(作家ホフマン)の姿と自らに、そして、クララとの関係の共通を見出し、作品を作曲するに至ったと言われています。
▪️曲の構成・込められたキーワード
実は、クララを意味する3つの音符、A(ラ)B(シ・フラット)C(ド)が、この作品には、たくさん隠されています。
ドイツ語表記でのクララ『Clara』には、音符となるアルファベット、A(ラ)B(シ・フラット)C(ド)が含まれていることから、クララへのメッセージとしたのでしょう。
一度は、別れを決意したクララに対して、心からの深い愛情を伝えたかったのシューマンの想いなのかもしれません。
それぞれの作品で登場する『クララ』を見ていきたいと思います。
シューマン:クライスレリアーナ 作品16(総演奏時間:約30分)
第1曲 激しく躍動して(2分30秒)
J.Sバッハ作曲の平均律クラヴィーア曲集第1巻第6番BWV 851 前奏曲 から、インスピレーションを受けて作曲したと、自身が記述しています。
シューマンは、この作品の最初の三音からクララの音文字を音楽にし、減7和音という痛みを表す和声を冒頭から表現していることで、クララへの叫びともいえるような印象です。バッハの原曲では、ニ短調の主和音から正統で厳粛な雰囲気で始まるのに対し、いかに、シューマンの心が荒れていたかということが伺えます。
第2曲 たいへん心をこめて速すぎずに(8分00秒)
初めの小節にクララ(Clara)が登場しますが、ここでは、牧歌的に穏やかに始まり、ロベルトとクララの会話が美しく織りなしていくような高音と低音のメロディーが印象的です。途中は、子供の頃を無邪気に思い出したり、ロベルトとクララの会話が突然苦悩に満ちたりしますが、最後は、優しくクララ(Clara)が譜面に登場し、終わります。
第3曲 激しく駆り立てるように~いくぶんゆっくりと(3分30秒)
掻き立てるようなリズムの三連符の中に、クララ(Clara)が描き込まれています。シューマンの不安に掻き立てられる想いが重なる音形のあとは、ロベルトとクララの甘美と優しさに満ちた対話のメロディーが織りなしていきます。最後は、突如として、激しさが爆発するようなコーダが出現し、激情が交差するようなオクターブの音程で締めくくられます。
第4曲 きわめて遅く~いくぶん動きをもって(4分00秒)
ここでは、大変優しく語りかける和音とメロディーの中にクララ(Clara)が登場します。途中、バッハのオルガン曲にあるような嘆きのモチーフが登場しますが、2人の誓いを立てるような温かいポリフォニー、昔を楽しく振り返りながらも憧れが膨らむような場面が登場し、最後は大変優しく語りかける和音とメロディーの中にクララ(Clara)が再現され、平安の中に終わります。
第5曲 非常に生き生きと(3分00秒)
冒頭にクララ(Clara)登場するクララは、小人の踊りのようなリズムとメロディーの跳躍の中に現れます。悲しげに掻き立てられるような前半、そして、中間部は優雅に2人で語っているような場面、右手と左手が同じメロディーで下降していくことから、ロベルトとクララが双方で一致した苦しみのようなメッセージとしても感じられます。
第6曲 きわめて遅くいくぶん動きをもって(4分00秒)
淡い夕日の中で、静かに語り合うような雰囲気をもたらす中間部の音域で始まりますが、クララ(Clara)に対する呼びかけは、常に下降形のメロディーに登場することから、シューマンの絶望感や焦燥感も感じられます。
第7曲 非常に速く~さらに速く(2分30秒)
シューマンがクララに宛てた手紙の中で、『夜中、僕は、激しい苦悩に追われ、眠れない心境で、激しく祈るだよ・・・君のことを想って』と、残している部分に相当する曲ともいわれています。シューマンは、最後に『さらに速く』という速度表示を記載していることから、苦悩が極限に達していることが伺えます。しかし、その激情の直後、突如として、明るい調性へと変化し、最後は身を委ねるような祈りのコーダの形でクララ(Clara)が登場し、締めくくられます。
第8曲 速くそして遊び心をもって(4分00秒)
『子供の情景』の【不思議な(奇妙な)お話】の大人版ようなリズムと低音が鳴り響きます。クララ(Clara)は、冒頭から登場しませんが、中間部の美しい過去を振り返るような温かいメロディー、そして、嘆きのトランペットとも称される音形の冒頭に盛り込まれています。最後は、理解不能な物語の中に消えていくようにして、この大曲は幕を閉じます。
シューマン(リスト編曲):献呈(君に捧ぐ)
▪️題名に込められた想い
原曲は、ロベルト・シューマンが結婚前夜に、妻となるクララに捧げた歌曲
『ミルテの花』歌曲集の1曲目にあたる「献呈」です。
ロベルトとクララの結婚に関しては、クララのお父さんが猛反対をしたことにより、最後は裁判沙汰になるほどでした。
そのような困難を乗り越えた後の前夜に、感謝と決意を捧げた曲とも言えるのかもしません。
同じロマン派時代に生きたフランツ・リストが、ピアノ用に編曲をした作品です。
ピアノでの表現の可能性が見事に用いられており、今では、独立した名曲として有名になっています。
▪️曲の内容と歌詞
歌詞は、ドイツ人の詩人フリードリヒ・リュッケルト(Friedrich Rückert/1788-1866)によるものです。
(原語:ドイツ語🇩🇪)
▪️ドイツ語とメロディーの抑揚について(楽譜の抜粋)
『献呈』の素晴らしい詩に、シューマンは見事にドイツ語の感情表現に沿ったメロディーを見事に創り上げています。
魂から心、喜びから痛み、この想いを表現する主要な単語は、ドイツ語で語る時ににも強調されますが、それぞれの言葉の役割によって、音の高さが違っています。
冒頭の部分のみ取り上げましたが、
最初のメロディーだけでも、ため息が出るような想いになります。
ピアノが加わえられることにより、死と永遠、厳かな真剣さ、秘密などを意味する調性である変イ長調がさらに、歌詞を引立て、
感情の変化に色を伴わせる和声が、メロディーの抑揚を一層引き立て、歌詞が音楽として生きています。
冒頭のでは、『あなたは私の喜び』の部分で、主和音から下属和音(A♭→D♭)へと変化することで、初めにはなかった気持ちの高まりが伺えます。
F.リストが、ピアノ独奏用に編曲したことで、奏者は一人二役を担うことになりますが、作品の後半には、ピアノならではの煌びやかさ(Lebhaft)が生きてきます。
▪️演奏動画🎹
フルで演奏した動画です。
是非、お聴きください🎹
シューマン:子供の情景 作品15
ご覧いただき、ありがとうございます!
ピアニストの吉村直美です♪
『音楽と旅』リサイタル・シリーズ第9回目の開催日が迫ってまいりました🎹
今回は、当日の演奏プログラムの中から、シューマン:子供の情景 作品15について綴ります。
▪️シューマンが生きた時代
ドイツ出身🇩🇪(当時はプロイセン王国)の作曲者のロベルト・シューマン(1810年〜1856年)が生きた時代は、
それ以前に主流だった古典主義による理性偏重、合理主義と捉えられた主義などに対し、感受性や主観に重きをおいたロマン主義が精神運動として起こっていました。
その動きは文芸・美術・音楽・演劇などの芸術分野に及び、ロマン主義という思想の中で相互に影響し合っていました。
のちに、反動としてして、写実主義や自然主義が起こりますが、この作品では、シューマンがすでに自然主義にも傾倒していた様子が聴こえてくる気もします。
▪️作曲時のシューマンの状況
この作品が作曲されたのは1838年、ロベルト・シューマンが28歳の頃です。
曲の一部は、すでに以前から作曲されていたものもあるそうですが、ほとんどの箇所は僅か2ヶ月ほどで創り上げたそうです。
そのような想いへと駆り立てたシューマンの心情は、後に妻となるクララとの結婚をクララの父により猛反対されていたことで、辛さに満ちていたものでした。
ロベルト・シューマンとクララが出会った当初は、19歳だったロベルトは9歳だったクララのピアノ教師でした。しかも、出会いのきっかけは、クララの父親ヴィーク。ヴィークはピアノ教師でもあったようで、ロベルトを見込んだのでしょう。そして、ロベルトにとってヴィークは自身の師でもありました。
そのため、ヴィークは、音楽家で我が弟子ロベルトが愛娘クララと結婚なんて許さん・・!と思っていたのかもしれません。。
結婚への猛反対振りは、クララが結婚を諦め別れる決意まで促し、ロベルトにそれまでの手紙を全て送り返している程でした。
それでも、諦められなかったロベルト。熱いクララへの想いから、『子供の情景』は創り上げられた名曲でもあります。
▪️「子供の情景」への想い
この作品に関して、シューマンが子供の思い浮かべて作ったのではなく、大人の中にある子供の純粋さを音にしたためたという記述があります。
そして、子供の純粋さには、出会ったばかりのクララが純粋な少女だった時の純粋な想い出も託されているのかもしれません。シューマンは、クララに宛てた手紙の中で、「時々あなたは子供に思えます」と残しています。
「音と音の間にこそ、芸術があるのです。」
「ゆっくりした曲こそ、演奏者にとっては、実は、難関なのです。」
これは、シューマン自身が残した言葉であり、『子供の情景』への想いにも当てはまるようにも感じられます。
▪️13曲から成る内容について
それぞれの表題については、ロベルト・シューマンが作曲した後に、自身により追記で付けられています。
『子供の情景』作品15は、13曲から構成されています。
第1曲 見知らぬ国と人々について (Von fremden Ländern und Menschen)
冒頭のメロディーの跳躍では憧れと好奇心で始まり、中間部には未知の国への不安が入り混じり、再び冒頭部分が登場するという構成で、美しいハーモニーが織りなされています。
第2曲 不思議なお話 (Kuriose Geschichte)
“Kurios”は、『奇妙な、変わった』というニュアンスを持つドイツ語です。名のとおり、不思議で軽快なリズムで始まりますが、突如としてセンチメンタルになるキャラクターと交差します。
第3曲 鬼ごっこ (Hasche-Mann)
スタッカート(短く)弾く指示が、早くほとばしる音符につけられており、何かよくわからない存在から、駆け足で逃げていくような印象です。
第4曲 おねだり (Bittendes Kind)
主要なメロディーの最初の2音が、跳躍していることから、単なる願いではなく、純粋に何かを「ねだる」様子が伺えます。中間部は、対比的にメロディーが下降しますが、大人が優しく答えるような印象をもたらします。
第5曲 十分に幸せ (Glückes genug)
“Genug”は、満ち足りたとも訳されます。これ以上ないほどの安心感、幸福感を表すような大きなメロディーライン、常に明るいハーモニーは、子供心ならではの満ち足りた思いも示しています。
第6曲 重大な出来事 (Wichtige Begebenheit)
始終、和音が雄弁に鳴り響くように描かれていることから、大事なことを切に語っている様子も伺えます。冒頭と終結部分が、大きく下降に向かうことから、何か自分より大きな存在から教えてくれたことを語っているようにも感じられます。
第7曲 トロイメライ(夢) (Träumerei)
ロベルト・シューマンの作品の中でも、最も有名なピアノ曲の一つです。沸き起こる夢が交差するように書かれていますが、中間部は叶わないと感じる夢へ切なさ、そして、シューマンの危うさともいえるような繊細な箇所も登場する名曲です。
第8曲 暖炉のそばで (Am Kamin)
左手には、シンコペーションのリズムが用いられていることから、暖炉のそばで揺れる長椅子にゆったりと座っているような温かい印象も受けます。
第9曲 木馬の騎士 (Ritter vom Steckenpferd)
冒頭には、”mit Humor” (ユーモアを持って)と書かれており、当時の情勢をおもしろおかしく純粋に表そうとしたとも受け取れます。騎士が木馬に乗ること自体が、ユーモラスな発想ですね。
第10曲 むきになって (Fast zu ernst)
突然、ここで、がらりと変わった調性嬰ト短調が登場することで、何か緊迫した雰囲気が醸し出されます。上行と下降を繰り返すメロディーの形は、一生懸命に何かを必死かつ真面目に訴えようとしているようにも受け取れます。
第11曲 怖がらせ (Fürchten machen)
冒頭の部分で、同音を連打するメロディーに対し、左手で半音で下がっていくことで、調性もすぐにわからないような印象を受けます。途中、突然、快活な箇所が登場したりと、何かよくわからない思いが怖がらせに繋がっているようなイメージをもたらします。
第12曲 眠りに入る子供 (Kind im Einschlummern)
憂いともの哀しげな美しさに満ちたハーモニーの上に何度も同じリズムで繰り返すメロディーは、子供心を少しづつあやす大人の一部のようにも取れます。最後は、何か終わり切れないような質問を投げかけるような印象をもたらす和音で終わります。
第13曲 詩人は語る (Der Dichter spricht)
詩人は、子供の時を振り返って語る大人としても、解釈されることもあります。崇高な祈りのようなコラール調の語りで始まるも、途中は、涙のモチーフへと変わり、その後、突如、嘆きのレジタティーボ(語り)が現れ、それまでの平安が崩れますが、最後は天に昇るような静寂へと集結します。
▪️出版当時
初版が出版された当時は、各地で大絶賛されたり、とある評論家に酷評を受けたりとセンセーショナルも巻き起こしていたようですが、シューマンは全く屈さなかったとの記述があります。
今では、ロマン派のピアノ作品の中でも世界中で人気の作品となっていますので、シューマン自身がこのことを知れば、喜んだのではないでしょうか。
J.S バッハ = ブゾーニー:シャコンヌ ニ短調 BWV 1004
原曲は、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータであり、ピアニスト兼作曲家のブゾーニがピアノ独奏用に編曲した作品です。
▪️バッハが生きた時代
作曲者のバッハはドイツに生まれ、日本の江戸時代初期から中期にあたる時代に活躍した人です。
ドイツでは、神聖ローマ帝国と呼ばれた時代に、ハプスブルク家のヨーゼフ1世が皇帝に即位して間もない時期でした。スペイン継承戦争が継続しており、希望と混乱が交錯していた状況だったとも想像されます。
▪️シャコンヌとは
語源は、『チャコーナ chacona』であり、詩を語る舞曲として、南米でギターで演奏していたと言われています。
3拍子の舞曲の一種でもあり、バッハが生きた時代には、音楽的なパターンを繰り返しながら変化を遂げていく変奏曲として、用いられていました。
バッハが生きた国ドイツでは、主にオルガンの分野で発展を遂げていき、バッハによってフランス風とドイツ風『チャコーナ chacona』の融合遂げたともされています。
▪️作曲時のバッハの状況
当時、35歳だったバッハは、ドイツ・ケーテンでケーテン侯国の宮廷楽長を務め、大活躍していました。領収レオポルド侯に随行し旅行をしていた途中に、最初の妻であったマリア・バルバラが急死するという不幸に見舞われ、バッハが帰郷した時には、埋葬されていたという状況でした。
そのような境遇の中、作られたシャコンヌには、鎮魂を意味するニ短調という調性になっています。愛する人の人生を回想するような形で捧げられた想いと、死から不滅の鎮魂を願うような祈りが様々な形に変化していき、最後は重厚に終わります。
ピアニスト 吉村直美
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音楽と旅#9リサイタル情報
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