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自然でいること〜自分でいること

音楽は感情を表現していくものだけれど、
感情的になってしまうと、感情を表現できない。

コメディアンが、自ら笑えないことに似ている。

役者は悲しいシーンで涙を流すが、
音楽家は涙を流さず、お客さんの涙を誘う。

感情が体を動かし過ぎて演奏の邪魔になるので、
それをコントロールすることは多々ある。
自分もそうだし、自分の生徒たちにも同じことが言える。
コントロールする時に固くならないように、
本来の自分の体が生かされるように持っていく。

自分にとって感情のコントロールは、
子供の頃から一番苦手なことだった。

感情移入は得意中の得意。

でも大人になったら、ずっと泣いているわけにもいかず、
かといってずっと笑っているわけにもいかず、
そしていつも怒っているわけにも、
悲しんでいるわけにもいかず、
その場の雰囲気を乱さぬ様に、
時と場合によって感情の線に触れないように、
感情の波が立ちそうになった時、
そこからスッと逃げる術を身につけたように思う。


ただ、先日あるミーティングの時、
自分の心はコントロールしたつもりだったが、
どうしても声が震えて、その声を聞きながら、
自分の声にまた涙が出そうになった。


『Indipendent Education Program』『IEP』
という枠に当てはまる、端っこ3%の子供達が受けられる
サービスという名の付いたサポート?!

結局何の成果も齎さない、たくさんのセラピーというものを受けさせられ、
(ひょっとしたら、成果があったのかもしれないが、
端っこ3%の成長グラフは変わらない)
7歳の時から3年に一度、たくさんのテストを受け
(これも、本当に必要かどうかは謎)
どのくらい同年代の子供たちと比べて劣っているかということを
数字で表され(平均からどのくらい外れているかというようなグラフで見せられ)
その表から見られる、彼女の特質は、全く変わっていない。

でも今回だけは
どれだけ無意味な数字を目標に並べているか、
どれだけ無意味なテストを受けさせられているか、
どれだけ無意味なセラピーを受けさせられているか、
と言わせてもらった。

実生活に全く結びついていないナンセンスなことだと
本人が思っている限り、そのセラピーに行く意欲もない。
それも人の目を気にしながら。
心は彼女も、もう大人。

学校の先生は学力を見て、その子の精神年齢も同じだと思っている。
話し方が幼いからといって、考えていることも幼いという訳ではない。

必要性を訴えていたスピーチセラピーの先生だけは、
それでも親身になって聞いてくれたのかもしれない。

スピーチセラピーでは学校の授業を手伝えないが、
どれだけ本人が、他の人が簡単に出来ることに苦労しているか、
ただ聞いて、読んで書いて、写して、という作業に労力を費やしているか、
やっぱりわかってもらえることは無いのだろう。

聞き取り能力
読み書き能力
言葉の表現能力


宿題がわからない時、他の友達に聞けるようになったことを誇りに思うし、
宿題を出さなければならないという責任感を感じて、
学校を休んで宿題をしたことも、成長を見て嬉しく思う。


そのことを話している時に、感情的になってしまったのだ。


提出期日が遅れたからという理由で評価が「F」だったとしても、
何もしなくて「F」をもらうよりかは何倍もマシだ。

それが彼女の成長スピードで、それより早くなることはないだろうし、
無理矢理詰め込もうとしたら、多分全く色々なところで支障を来す。

子供も大人も、その人が生まれ持った自然な成長に寄り添うしかない。
でも怠惰になって、自分の心や体に栄養をあげる事を忘れがち。
子供の頃は親がそれをするけれど、
大人になるということは、
それを自分でできるように、自分のことをよく知るべきだ。

人それぞれ必要な栄養は違うし、それを過剰に摂っても少な過ぎても
また病気になる。

生かされた自分を大事にすることは、結果周りの人を大切にすることに繋がる。
あるがままを受け入れて、それを生かす努力をする。

自然〜自分
同じ字を使っている。
その二つは半分一緒。









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