自分にやさしく
「人に優しく、自分に厳しく」を美徳として育ってきた。
それが最近では
「人と同じように、自分に優しく」
とよく言われる。
人にばかり尽くしてしまう癖がある、、、
確かに、自分もそういう傾向がある。
気がつくと、自分の時間がない。
自分のことを考える時間や意思が、無くなる。
感情のコントロールが難しくなってきたら、
それは自分のスペースが無くなってくることになって、
他人との摩擦にもなる。
そもそも、自分のことを守れない人が、
人を守ることなど、出来ないだろう。
赤ちゃんは泣くけれど、
それは「守って欲しい」というサイン。
自分の欲求を満たすために、「守って欲しい」と泣く。
言葉を使えるようになったら、
その言葉で、自分の要求を表現する方法がある。
子供から大人へ変わっていくことは、
その欲求を適切に伝えることを学んで、
他人と関わって行くことだ。
色々なことを計画するにあたって、
きっとその技が必要になってくる。
自分の要求を言葉にする。
頼まれてもいないのに、やる仕事もある。
それは相手のことを察しての場合もあるし、
自分が「やりたい」というエゴの場合もある。
エゴと他人の要求が一致すれば
それはそれで、バランスが取れる。
自己犠牲を持って人に優しくするのは、
優しさというのとはちょっと違う。
その行動を犠牲と思って行動するか、
または喜びと思って行動するか、
同じことをしていても、感情がそこに入っているこそ、
物事の価値と、人との関係が変わってくる。
恩を着せられたら、それは重い。
思ったことを何でも口にして相手を傷つけてしまうのも怖いが、
何を言わなくても、誤解を受けて傷つけてしまうこともある。
同じ要領で、「自分自身」に対してはきっと
自分を他人と比べて責めたり、
言葉足らずで、傷つけてしまうパターンが多いだろう。
他人とのコミュニケーションだけでなく、
自分自身とのコミュニケーションも
ただ漠然と感じるだけではなく、
言葉で書き出すことが
本当の自分と繋がるきっかけになる。
「自分にやさしく」
それは、自分の声を聞くことから始まるのかもしれない。