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熟れた柿色の家族

ジュクジュクになった柿を見ると
よみがえるシーンがある。
ちゃぶ台の上に
熟してつぶれそうな柿が数個と
すり卸した生姜が茶碗に入って並んでいて
流し台で母が音を立てて
リンゴをすり卸しているのだ。

当時 うちは、
台所と茶の間と六畳、三畳しかない。
だから、こんな甘い匂いがしたら
他のことは手につかなくなる。

「戸棚から丼出して、そこのそれ、全部混ぜて」

母に言われて小学生の私は、
丼を出してきて熟しきった柿を入れる。
ブチっと潰れて指についた柿を舐める。

母は卸したリンゴのついた手で
柿のヘタと種を除き
指でつぶした柿の果肉を少し摘まむ。
それを私の口に入れてくれ
自分も食べて美味しいね〜と笑っている。

「はい。あと、やってよ」
「おう」

父は読んでいた新聞を置いて手を洗い、
母からすり卸したリンゴを受け取り、
丼の柿に混ぜる。

うおーっと思いながら
果物のトロトロの山を見ている私。

父はそこに一升瓶からドボっと醤油を注ぐ。
目を丸くした私を 面白そうに父は見ながら
こちらも指についた醤油をちょいと舐めて
うまいの作ってやるな と言う。

その後も 丼には卸した何かが次々と足され
私の舐める勇気はどんどんなくなる。

ジンギスカンとすき焼きは
太った肉好きの父が作れる
この世でたった二つの料理。
ただし、タレだけ。
その日の晩御飯はジンギスカンだ

タレを羊肉にドバッとかけて
父が大きな手で揉み込むと、
醤油と果物の香りが部屋を充す。

その空間の中で
母は 場所づくりをしている。

ジンギスカンを狭い家で焼くと
匂いが二日はとれない。
二軒長屋に洒落た庭はない。
家の外は地主さんの畑と他の借家だ。 

母は茶の間の大きな掃き出し窓を開け
床に新聞紙を敷きつめ
窓辺にガスコンロを置く。

うちがジンギスカンを焼く時は
屋根続きで、壁一枚へだてた隣の家族が
母の好物を持ってやってくる。
ミガキニシンと大根の麹漬けだ。

隣のご主人は長距離トラックで本州まで行く。
だからご飯はいつも 北海道で待つ奥さんと
保育園通いの3人の子で食べている。

母は新聞紙を敷いた床に
私たち子どもをズラッと並ばせ、

たくさん食べなよ!と
気合いを入れさせる。

マトンがタレごとジュージュー焼けると
新聞紙には油が飛び散って
黒い点々が次々出来る。

大人は何やら話しながら
子どもは、おいしい!と叫びながら
皆で、味が浸み込む肉を
ひたすら噛む。

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呼ばれてばかりで悪いね と
隣のおばさんが言うと 母が

旦那さん どうなの?と聞く。

うん どうだかね
さっぱりわかんないんだわ という。

父は
バスでそこらを走るのとは違う。大変なんだ
と言う。

父は地元のバス会社で労働組合活動をしていた。
春闘は私鉄総連の大会で内地に行った。
NHKのニュースで
赤い鉢巻をしてメガホンを持った父を見た。

バスの運転しないで何してんのか
さっぱりわからなかった。
出張のたび、あちこちの土産のこけしが増えて
戸棚の飾り棚に並んだ。

漬け込んだ肉も焼いてしまって
テレビでニュースが始まると
父も母もおばさんも
大人の話しをしていた。

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子供は暮れてしまった空き地に出て
また遊びだす。
空気の抜けたゴムボールを蹴って
ボコっと変な音がしてケタケタ笑ったら

私の口に虫が入った。
虫もジンギスカン食べた!って
2つ下の隣の長男が笑った。

そのうち 暗くてさすがに
ボールが見えなくなって
一番下の女の子に
懐中電灯でボールの先を照らさせながら
それでも飽きるまで遊び転げた。

あそこを越して四十年はたつ。

隣人は他市へ引っ越し
父は他界し 私は内地に出て
同じ故郷に住むのは母だけになった。

空き地も 二軒借家も全て消えたが
熟れた柿と柿色の夕焼けは
時空を飛んで 瞬時に
甘辛いタレのような
ふたつの家族の光景を映し出してくれる。

だから私は
秋も 柿も ジンギスカンの甘辛いタレも
濃いオレンジ色や
醤油の焦げる匂い
そういう
無性に元気が出てくるものが
大好きだ。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
柿がたくさんなる写真は今のうちの近所、
最後2枚の写真は、昨年10月故郷で撮影した、路端の木立と公園の木です。

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