2012年 ニューヨークの出来事
「ニューヨークで最後の公衆電話が取り除かれました・・・」
ふと耳にしたニュースの声に、私の中で
記憶の連鎖が始まった。それは2012年。
あの惨劇から11年が経過したニューヨークで起きた不思議な体験だ。
大好きな映画のロケ地を見たくて、旅費を貯め、英会話を習い、遂に夢を叶えた私は、先ず電車の駅グランドセントラルターミナルに行った。
主役が使った公衆電話や、地球儀みたいな時計を見つけて写真を撮ったり、逢引きするカフェでは撮影時のカメラ位置を想像して楽しんだ。
そして何枚もの写真を撮りまくった。
ロケ地以外にブロードウェイ、カーネギー、美術館、教会、可能な限り街を歩いた12日間。
いよいよ帰る前日。
SOHO(ソーホー)を見ておこうと、宿泊ホテルを出発し、地下鉄で最寄駅を降りた私は、お登りさんに見えぬよう地図は頭の中に入れ、独りで足早に歩いていた。
洒落た店が並ぶSOHO。
メイン通りを見終え、そろそろ戻ろうかと考えながら、ふと顔を向けたカフェで、店外にある地下倉庫から、ビールケースを担いだ男性が地上に姿を現すのが見えた。
なんとなく私は、そこで道路を右へ渡って方向を変えた。
惨劇から11年。NYは落ち着きを取り戻していたが、あの場所には行かない、行きたくないと決めていた私は、頭の地図を頼りにホテルのある中心部に向かった、はずだった。
歩いていると、立札や壁に白い丸が書かれているのが何度か目に入った。
特に気に留めずにいたが、そのうち頭痛がして体がだるくなってきた。
歩き疲れたのか。いや、この程度は常に歩いているし水も飲んでいる。
しかし体の重さは徐々に増し、坂道を歩くような前傾姿勢になっていく。
私は肩にかけたバックのベルトを握った。
地下鉄に乗ろうにも駅がどこかわからない。
また出くわした白丸を見ると、横に短い縦線2本が付いている。はっとした。
丸は数字の『9』のデフォルメ、
それは『911』をシンボル化したもの。
私は避けていた『グランド・ゼロ』に向かっていたのだ。
すると一気に胸が押されるように感じて、怖くなって私は心の中で叫んだ。
私は違う!何もできません。
ごめんなさい。違うから来ないでください。
何が違うのかわからないが本能的に言った。
この重さを直視してはいけない。
そんな気がした。
ここを離れよう、
理由もわからず水の近くを目指した。
ニューヨークには川がある。
見当をつけて歩きながら気を紛らわす為、
ウォークマンのスイッチを入れた。
するとアコースティックギターの音が、
すーっと何かを吹き流し、
私は解き放たれた。
トラックの横でコーヒーを立ち飲みする男性、警察署前に立つ警察官、ベンチで本を読む人、ジョギンする人、様々な人が雑多に存在するニューヨークが目の前に蘇り、息づいていた。
その現実の中で私は答えを探した。
あの重さは何なのか、
人は気のせいだと言うだろうが、私には怖いほど明らかな事実だ。
この土地に重力異常や、人間が感じる1Gの重さが変わる仕組みがあるのか。
それとも見えない何か、行き場を求めた無念が漂っているのか。
私は急に泣けてきた。
喜びや悲しみ、
まとまらない感情が次々とあふれ出た。
ここに立っていられることは奇跡だ。
生きている事は奇跡でしかない。
私はおもむろに涙を拭きながら歩き続けた。
ニューヨークでは不思議な事が重なった。
グランドセントラルターミナルで撮った写真は空中を無数の白いシャボン玉が漂い、天井の星座デザインは霞んでしまった。
カーネギーで聴いた平和を祈る『ワールドピースオーケストラ』の演奏中、祈りの言葉が口をついて出た。
そして最後が、この出来事だった。
私は地上で次元移動を体験したと思っている。
それは『意識の次元』であり、自分の存在する場所を選ぶ体験だった。
次元移動の鍵は、気分だ。
あのとき、私は音楽で気分のシフトレバーを切り変えた。
この曲がハドソン川沿まで歩く私を救い出した。街の断片が美しくて泣けてきた。
中心部に帰る道で流れていた曲。イエローキャブ、エンパイヤーステート、タイムズスクエア、夕暮れのマンハッタンが輝き出した。
翌日、私は曇り空のNYを後にした。
その日から降り始めた雨がニューヨークを襲ったのを到着後の成田で知り、
自宅に着いてニュースをつけると、昨日までいたニューヨークの街や地下鉄が大水で溢れている。やるせなかった。
それはハリケーン・サンディの到来だ。
ハリケーンは何を流し去ったのだろうか。
あれから10年が経つ。
混乱の都市は世界に現れている。
それでも、意識のハンドルは自分が握る。
天界へ行った人と、もしも電話で話せたら、
彼らに聞いてみたい。
なぜ,この世に生まれてくるのか。
この世は、なにをするところなのか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
参考:ハリケーンサンディについて