day95 今日という日を、悔いなく生きてみたとしても。

最近、人生の終わりについてよく考えている。
以前こんな記事も書いたことがあるのだが

1日を終えるときに、命の終わりごと意識して眠りにつく。

昨日、何かYouTubeでも、と思いアプリを開くと、どういう訳かおすすめ動画が[妻の突然死]というものだった。
おぉ、いよいよわたしの周りで誰か(自分を含めて)逝くのだろうか?と思いつつ、カレーをつくりながらその動画を観ていた。

旦那さんの帰りを待つ間、時々不思議な感覚にとらわれる。もしかしたら、このまま帰って来ない可能性もありうる。または、待っている間にわたしが倒れて、そのまま逝くことだってあるだろう。

もう会えないかもしれない。
というのは常日頃から考えるくせに、あまり毎日を大切に過ごしてないな、と反省もする。

明日死んでもいいように、今日を悔いなく生きることは、もしかしたらできるかもしれないけれど、でもやっぱり遺された側には、少なからず悔いは残るだろう。相手への愛情がある限り、それは絶対的な気がする。

そして、明日を迎えるためのお楽しみとして、ちょっと希望的な〈悔い〉を残しておくのもいいんじゃないかな、なんてことも思った。

もちろん、ごめんね、やありがとうを伝えるのは今のうちがいいに決まっている。
でもそういう大切な愛とも違う、明日を生きるためのエネルギーになるようなもの。

例えば、目が覚めて無事に朝を迎えられたら、一緒に何処かへ出掛けよう!みたいなこと。
そんな明日へのお楽しみをひと握りだけ持って、眠りにつけたらいいな、と思うのだ。
まぁ、仕事とかも少し残しておくくらいが、明日の活力になったりもするし。


最近、突然大切な人が逝くニュースばかりが、わたしの身の回りで続けざまに届く。
もっと目の前の人を大切に、そして愛と感謝を忘れないで、というメッセージ。

愛する人たち、愛してくれる人、大切なパートナー、愛しのニャンズ。すべての人たちに愛と感謝を。そしてそれ以前に、自分へ深い愛と感謝を。

案外自分のことをいちばん忘れがち。今日も一生懸命生きてくれてありがとう。

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