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day183 恐れすら恐れない生き方を選ぶ。

今日はマインドリージョン6回目の日。
急遽決まって、まさかのハイスピードな進み方に、驚きとありがたみを感じている。

今回は、強固な恐怖の手放しがテーマ。
この数日間で、自分で抑圧している怒りの感情の存在に気づいたり、相方さんの言語化できない感情を炙り出してみたり、それと同じものが自分の中にあると気づいたりした。

そして怒りの他にも、恐れというものの存在意義に気づくことができた。
恐れとは結局のところ、失うことに対する怖さなのだ。

怒りを含む感情を表出できない原因は、誰にも認めてもらえない、自分の居場所を失う怖さが原因だと思っている。そしてその根底にあるのは、相手を信頼できていないこと、さらに自分を信頼できていないことだろう。

それならば、誰かの意見に寄生虫かのごとく棲みついて、ひたすら受け身で過ごすほうが楽だと思うだろう。
意見なんて始めからない。だから何も言わないし、意見を求められると苛立ちが起こる。

自分の意見を持たないということは、自分自身を生きていないということだ。そこに意志があるとしたら、決して意見を持たないと決めたことくらいだろう。

これらは相方さんを観察して出てきた仮説に過ぎないけれど、わたしの中にも鏡のように存在しているだろうと感じている。

いい人でいたい。自分の意見を押し殺してでも、調和を図ろうとする。自己犠牲で丸く収めようとしたがるわたしがいる。


いよいよ、恐れを超えていくフェーズに辿り着いた。超えていく、と書いたけれど、実際は恐れることを恐れない、という感覚に近い。

怖くても、その怖さを引き受けて進む。どうやら引き戻す選択肢はないようだ。
違和感と恐れは別物。違和感はサインだが、恐れはエゴキンマン(暴走したエゴ)だ。

怖いなぁと言いながら、バンジージャンプするみたいなものだ。ちゃんと安全を約束された状態で飛ぶのだから問題ない。

大丈夫、何やらかしても死なないよ。
死んだとしても宇宙存在に還るだけ。元々わたしたちは宇宙存在なのだから、問題ない。
でもどうせ宇宙存在に還るなら、もっとたくさんの経験をしてからにしたい。

恐れることを恐れるな。
恐れたときは自分を超えていくチャンス。
失うものなんて、人間として生まれた瞬間に頂いた肉体くらいなものだから。

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