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day50 思いを言葉にする作業。

今日は事務所へ。昨日やっと雪かきを終えたところに、昨晩新たに降った雪が再び積もっていた。やれやれと思いながら、車からスコップを取り出し除雪する。
それにしても隣家のカーポートからの落雪、なんとかならないかなぁと思いながら。

ひとまず駐車場を確保したものの、神棚に飾る榊を買っていなかった。近くの店まで再び出掛け、ちょっと奮発した日本酒と一緒に買って帰った。
盛り塩と榊を換え、ホワイトセージを焚いて、窓を開けて空気も入れ換えた。榊のついでに買ったミニブーケを花瓶に入れて飾る。

神棚と部屋の浄化をしていたら、あっという間に昼になっていた。

午後からは、事業についての言語化をおこなった。元々言語化するのは比較的得意なほうなのだけれど、今回は軸というか核の部分に辿り着くまでが大変だった。
やっと言いたいことが言える(いや、書ける)ことが嬉しくて、おもむくままにキーボードを叩き続けた。

途中、外から雪かきの音が聴こえてきた。窓から覗いてみると、隣家の人。この好機を逃すまい、と外に出て、落雪で困っている件をお話しさせていただいた。無論、平和的に。

ちょっと無愛想な人だったけれど、ちゃんと雪をどかしてくださっていた。あぁ、言えて良かった、と安堵する。


思いを言葉にすることが難しい、と相方さんは言う。でもわたしにとっては、思いを言葉にすることで人生が成り立っていると言えるくらいに大切なプロセスだ。

先日聴き流したYouTubeでは、人間の思考は言語で成り立っていると言っていた。声にするにも、文字を書くにも、考えごとをするにも、確かに言語がなければ不可能だと思う。

でも相方さんのように、言語化が難しいと感じる人たちも、少なからずいるのだろう。

溢れ出しすぎてまとまらないときは、出てきた言語を殴り書きする。とにかく書くのだ。誰かに伝えようとしなくていいから、渋滞している頭の中の交通整理をしてやる。

今日書き出したテキストも、この数日間のインプットと書き殴りのアウトプットを繰り返した結果だ。いきなり清書なんてできやしない。


先のYouTubeの件に戻ると、人は誰かから聴いたり、本で読んだりした言葉によって、思考をつくり出しているという。インプットがなければアウトプットできないのは当然だ。

そしてさらに言うなら、体験することがなければ感動することもないのだから、インプットとアウトプットの間には体験が必要だ。
それで言うなら多分、相方さんは圧倒的体験不足な気もする。


思いを言葉にしないというのは、わたしにとっては便秘気味なのと同じだ。苦しいし、気持ち悪い。
そしてインプットすることは、わたしの心を成長させること。筋肉を付けるためのプロテインのようなものだろう。
プロテインを摂取しても運動しなければ意味がないのと同じで、言葉も体験してアウトプットしなければ育たない。

そんな意味では毎日noteを更新することが、わたしにとっては筋トレだ。
ちなみに本日は記念すべき50日目。目指すところは365日なので、あと315日は最低でも続けてみよう。
まぁ途絶えたとしても、それはそれで。


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