2021.11.12 白いダイヤ
大豆の収穫。6月の種まきから、ついに、収穫の時期となった。
「大安の日に収穫しようと思います!」
東京でもやもやしていた私の心にその言葉はタイミングよくヒットした。
天気が雨かもしれない、そしたら柿むきにしよう。
せっかくなら大豆を収穫したいなぁ。その気持ちの私は、自分が晴れ女という自負のもと、絶対晴れると確信していた。
諏訪から伊那谷を越え、いざ中川村へ。
相変わらず美しい光景を見せてくれる。ちょうど紅葉の終わり。
晴れていた天気は途中から曇りに変わったが、雨は降らなそうだ。
いつもの畑に到着すると、いつものえいこちゃんがいた。
前に来た時には緑だった大豆畑は、茶色になり、背景の山の頂上には、うっすらと白い筋が見える。もう寒い冬の訪れだ。
今日はとりあえず左の2列。
鎌で根元を切っていく。もう乾燥しているから、刃をあてて反対に手で押すだけで、ポキッと折れる。
取りこぼしがないように、刈った後もチェックするえいこちゃん。
その動作ひとつにも、大豆への愛がある。
ちょっとくらい、という気持ちにならない。
なんでかというと、カメムシにだいぶやられて収量がどれくらいかという気持ちもあるからだ。
それをひとまとめに広げたビニールシートの上に集める。
ふた束ほどを手に取り、右手に握った棒でばしばしと叩く。
すると鞘の中から白い丸い大豆がポロポロ溢れていく。
この棒はね、富士山登山の時の杖を半分に切ったの。
ちょうどいい握り具合と、重さと、長さだ。
靴を脱いでシートの上に座りながら、二人でべしばし叩く。
靴下の足と、シャツの長さの足りない腰のあたりにひんやりとした風が入り込む。
出来の良い豆はぽろりと落ちるけれど、虫に食われていたり傷んでいる豆は引っかかってこぼれないという。
貴重な豆だからと、割れていない鞘をいちいち捲るが、確かに割れていない鞘の中に入っているのはダメな豆ばかりだった。
私たちはべしばし大豆を叩きながら、いろいろな話をした。
最近のことや、古民家の瓦の話や、石神の松の花火のこと、豆餅のこと、いろいろなこと。
「機械でやれば早いと思うけれど、機械音がうるさいでしょう。こうやって手作業だとおしゃべりができるからいいよね」
ただおしゃべりするよりも、何かしながらのおしゃべりって、良い。
不思議とするすると言葉が出てくる。
鞘から出した大豆をてみに集めて、まずは目の洗いざるに通す。
ザザザーーー
大きな枝や葉っぱがまず取り除かれ、今度はもう少し網目の小さいざるに通す。ぐるぐる回しながら汚れをふるい落とす。
ザッザッザッザ
「昔の人はこういうところから楽器を考えたんだろうね」
それはマラカスのような、そんな楽器を彷彿させる音だった。
「白いダイヤ!」
まさにその名に相応しい。白くツヤっとした丸い玉。小さかったり割れたりしているのも入っているけれど、丸くツルツルのその粒は、価値として、その粒はダイヤだ。
まだ落ち葉やちりが入っているけれど、米袋に流し入れる。残りの作業は後日。
5kg以上10kg未満と言ったところかなぁ。それでも、このずしっとした重みは、嬉しい重み。
たったこれだけで、こんなに量が取れたのは嬉しい。
私とえいこちゃんはほくほくした。
味噌作りへまた一歩近づいた。
余談だが、大豆の鞘はよく燃えると教えてもらった。
これを燃やして焚き火がしたい。