努力派か才能派か
昨今のSNSをはじめとするコンテンツの成長により、著名人と一般人の距離は急速に縮まっていきました。彼らは常に優れたコンテンツを発信し続け、私たちの人生に時に一筋の光明が差したような強烈なインパクトを与えてくれます。そして言い切ります、「自分は凡人だ。泥臭い努力でここまで来た、だから君も頑張ろう。」と。しかし彼らは本当に凡人なのでしょうか。
世の中を努力派と才能派に二分するならば、常に正しいのは努力派であるような風潮を、世界は、国は、著名人は流してきます。それは当然です。なぜなら才能派が正しいと定義されてしまっては、人々は努力をしなくなってしまう(そう思い込んでいる)からです。そして、もっと努力すれば高みに行けると望んでいる・いないに関わらず意識下に刷り込ませてきます。
一方で体格の良くないアスリートが第一線で活躍していたり、頭が切れないのに医者となって大勢の命を救ったりしているのもまた事実でしょう。そのくらい世界は広いのです。でも考えてみてください。本当に彼らには才能がなかったのでしょうか。行動遺伝学の研究によれば、勤勉ささえも遺伝の影響を受けると言われています。これについては慶応義塾大学の安藤教授が優れたコンテンツを発信されているので、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』等参考にされるのがよいでしょう。そうおそらく彼らには『まじめに努力できる』才能があったのでしょう。努力が無駄だと言いたいわけではありません。優れたダイアモンドでも磨かなければ輝くことはありませんからね。
しかし、いわゆる才能もない努力もできない凡人さんにも自身を責めてほしくないと思っています。大事なことは自分の性質を見極め、それを認めることじゃないでしょうか。そしてそのうえで、自分の好きや得意を見出し、遺伝子のポテンシャルを最大限引き出してあげれば、その先にあることが成功であろうが失敗であろうが、他の誰でもない自分が納得できるでしょう。