【紀行】九州遠征(その3):池島編
3月12日(火)は、|池島《いけしま》で炭鉱体験とオプション(島内散策)のツアーに参加した。池島炭鉱は昭和34年(1959)に営業出炭を開始して、平成13年(2001)に閉山した昭和から平成の炭鉱なので、明治23年(1890)に三菱の所有となり昭和49年(1974)に閉山した軍艦島との違いが面白かった。
行くにはちょっと遠い
池島は、長崎市内ではあるのだが、行くにはちょっと遠い。池島炭鉱体験のホームページに長崎駅前からの行き方の案内があったので、前日にバスの停留所を確認して、書かれたとおりに行った。長崎駅前のバス停は次から次へとバスが来て、ちょうど平日の通学・通勤時間でもあるので、混雑している。似たような行き先もあるので、注意しないけない。
11時に池島港集合なのだが、そのために長崎駅前8時28分のバスで、途中1回ターミナルで乗り換えて、神ノ浦港まで行く。そこから池島行きのフェリーに乗って約30分ということで、片道約2時間半かかる。
この長崎駅からのバスコースでツアーに参加したのは、私ともう一組のご夫婦だけで、池島港で集まったメンバーはあと10人ばかりいたが、自家用車が主だったではないかと思う。バイク乗りと違うルートの船便の人がひとりずついた。
炭鉱体験見学
炭鉱体験見学は約2時間。まず、建物で受付をして、説明とビデオ上映、簡単に各自昼食、装備(ヘルメットとヘッドライト)装着をする。土日だと午前コースで、炭鉱弁当というのを事前注文できるらしいが、平日はない。
それからトロッコで坑内に入り、要所要所で機器の説明をしてくれる。坑内温度は12度。冬は暖かく、夏は涼しい。入れるのは、坑内の近い入口だけだが、池島炭鉱は島にあるのではなく、海底に広がっている。海の下650mまで掘っているらしい。
このとき、見学者をとっかえひっかえ指名して、採炭機ドラムカッターのスイッチを入れたり、穿孔機を持たせて操作したり、非常時のエアーマントを装着したりといったことを順番にさわらせてくれる。実際使っていたものが、けっこうそのまま残っているし、動く。昭和から平成の炭鉱なので、電話や無線や電動機器、緊急対応など、近代的だ。説明してくれるガイドさんもご年配だから実際扱っていた人なんだろうなあと思う。
島内散策
坑内の体験見学のあと、少し休憩して、13時30分から15時30分くらいで、炭鉱関係者であり、今も住民でもあるガイドさんについて、島内をめぐった。ガイドさんが言うには港近辺で50人ほど住んでいるらしい。ガイドさんはちょっと離れたお風呂についている団地に住んでいる。
散策の行き帰りは、時間と距離を稼ぐため100円の島内バスを利用した。廃墟になった炭鉱住宅は、一部の部屋の中を見られるようにしていて、屋上に上がれる。その部屋の内部は、昭和40年代ぐらいの雰囲気で、私の覚えている子ども時代の田舎の実家より、当時の文明の利器があって、きれいだ。
8階建ての大きな団地もある。
お風呂屋さんだったところも窓から中を覗けたが、日本旅館の大浴場のようだった。
やっぱり軍艦島より現代っぽい。
小中学校もあったが、巨大な建物と広大な運動場に、今、児童生徒が3人在学とのこと。
現在、島内に多いのは、ネコ、イノシシ、人間、ヤギの順らしい。いちばん多いと言うネコには散策中あまり逢えず、1匹だけ見かけた。イノシシは人が多い時代にはいなかったのに、最近隣の島から泳いでくるらしい。ヤギは港近くに数頭草を食んでいた。あれは、飼いヤギ?
建物の一部は蔦などに覆われ、自然に還ろうとしている。しかし、まだ外見、人が住めそうな団地に人の気配がせず、荒涼としているのは、人類が滅んだ終末世界を彷彿させる。軍艦島のような規制がないから、コスプレヤーが時々撮影にくるらしい。昭和40年代にはこの島に7000人ほどの人がいたらしいので、その賑やかな様子をはっきりと覚えている住民にとっては、この急激な変貌にはなんとも言えない切ない思いがあるのではないだろうか。
帰り道
散策オプションは、池島港発15時47分の高速船にあわせて、港で解散となった。
そのあと、神ノ浦港から長崎駅のバスはターミナルでの乗り換えなしで82分、熟睡できた。
※この記事のウラをとるため、池島炭鉱体験のホームページを再確認したら、船便の変更があり、4月以降この島内散策のオプション付きコースがしばらくお休みらしい。残念。
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