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東京に人口が一極集中していることについて考えたこと。

長野県下伊那郡泰阜村(やすおか村)は
長野県南部に位置し、山林が86%の山と川に囲まれた村です。
人口は昭和40年には3000人を越していた人口は
今は約1500人と約50年間で半分に減りました。
そんな村で生まれ、育って、都会に出たけれど、
子育てと同時に村に戻ってきました。
そして、いろんな思いがあり、今、村会議員をさせてもらっています。

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今日のニュース

東京一極集中が加速しているとのニュースを読みました。
昨日、小泉政権の三位一体改革の中で
村長を務めていた父の文章を読んでいました。
感じるところがたくさんあったのでこちらにも
書き残しておこうと思います。

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交付税の健全化議論を
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人口2200人の過疎の山村から来年度(2004年度)予算の
三位一体改革の動きを見ていると心配が募るばかりです。
心配の種は、補助金削減と引き換えに税源移譲されても
村にはほとんどメリットがなさそうなこと。
確かに知事会をはじめ地方六団体は補助金を辞める代わりに
税源移譲を求めています。例えば、国の収入となる所得税の
税率を下げた分だけ、地方に入る住民税を増税するというのが、
地方への税減移譲の考えです。
 しかし、泰阜村には、課税できる相手がほとんどいない。
住民税を納めている人は約750人。65歳以上の人口が38%だから、
税源は細っていくばかり。住民税を増税してもどれだけの
税収があがるのか。村全体の歳入の中で村税収入は
固定資産税を含めて7%に過ぎません。
(中略)
もともと交付税は税収の少ない泰阜村のような過疎の自治体でも、
住民が最低限の暮らしができるだけの財源を保障する役割を
果たしてきました。交付税は多くの自治体にとって命綱。
バブル経済が崩壊し、交付税は減らされ続けてきました。
泰阜村の場合、98年をピークに毎年減らされ、03年度までの
5年間で三億円が削られた。歳入全体が24億円しかないなか、
どの経費を削るかに七転八倒してきたのです。
(中略)
税源の少ない泰阜村もあれば、富が集中する東京都もある。
これだけ税源が偏在する日本列島で、小さな町村がやっていく
ためには、やはり交付税は必要だと思います。

(以下省略)

朝日新聞03.12.12 松島貞治


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自主財源の乏しい小規模町村への財源移譲は
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日本の統治システムでは、住民のサービスのほとんどは
最も身近な市町村が行なっている。
そのサービスがきちんとできるためには、財源が必要であり、
市町村で足りない額は、全国的な財政調整を行い
それを保障し、東京にいても泰阜にいても
住民からみれば行政サービスに遜色ないように配慮されている。
日本全体が均衡ある発展をしてきたのも、まさにこの財源保証の
おかげである。韓国が日本のこの制度を学び、取り入れ
発展してきたことを見ても、まさに成果に冠たる制度と
いえるのであろう。
その地方交付税制度そのものが危機に瀕している。
自主財源の乏しい町村が自助努力なしで、この制度があるが故に
モラルハザードを引き起こしている、(中略)と聞いている。
だが、考えてみてほしい。
三位一体改革で解決できることならば、ここまで地方交付税堅持に
こだわらないが、解決できない国土になっているのである。
つまり、東京一極集中に代表される過密、過疎、
すなわち人口の偏在、富の偏在がここまで進んでしまっている
現状では、集まる財源も偏在するのは当たり前と言わざるを得ない。

現在の税制では、企業活動が活発に行われている地域、
人口と企業が集積している地域に税金がたくさん集まっているのは
誰でも理解できることである。課税客体がない地域では、
税源移譲されても、財源は集まらない。
適切な例ではないが、1200円使うのに、今までは親から
もらっていたが、これからは親からは400円、後は二人の
兄弟からもらいなさい、と言われても、二人の兄弟が
学生で収入がないときはどうなるか。
今の三位一体改革は、後の二人が400円払えるという
前提で進んでいるが、課税権を国から地方に移しても
解決できない現状にある。
(中略)
しかし、重ねて主張したいが、人口も富も偏在した日本にあって、
全国規模での財源保障をしなかったら、効率の悪い山村に
人は住むな、と言うのと同然である。
今こそ、農山村の価値を認め、そこに住むわれわれも
認めた上での三位一体改革を望みたい。

ニュースレター自治体学会04年3月 松島貞治

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小泉政権から20年。
今、三位一体改革の影響がようやく出てきているように思います。
平成の大合併が進み、日本の小さな村は名前だけでなく、
学校も役場も無くなったところがどれだけあるか・・・。

泰阜村が、それでもやっぱり村をなくしちゃいけないと、
様々な工夫をして、人員削減を始め、痛みを伴って
守ってきたものはなんだったのか、
なぜ、そこまでして村を守ろうとしたのかを
ちゃんとちゃんと、聞いて、私も解りたいと思います。

そして、「効率」が大切な場面も多々あることはもちろんですが、
住民自治は、こと、地方自治は、
「効率」と言う観点で語ったり改革しようとしては
いけないのではないかと思うこの頃です。

日本の競争力を高めるために、地方からも
優秀な若者はどんどん都会に行きました。
今年も、私の可愛い甥っ子が大学進学のために村を出ていきます。
帰ってくると言って出て行った子たちも、
帰ってきたいけど、仕事がないから、と、
そのまま帰ってこない子もたくさんいて。。。

「地方に仕事がない」
そんな状況になっているのは、
地方だけの責任ではない。
魅力的な発信ができていない、
工夫が足りない、
それだけでは語れない、
もっと構造的な問題があるのだとも思います。

田中角栄首相の日本列島改造論。
今一度、読んでみようと思います。

これから生まれてくる子どもたちや、
今、暮らしている子どもたちが、
泰阜村に生まれたことを、誇れるように。
東京に行ってもいい。
都会で暮らすもいい。
それでも、この村に生まれてよかったと思えるといい。

そういう村にしたい。
と、思った、東京一極集中への新聞記事の感想でした。


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