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「育てにくい子の子育て」について思うこと。(村のこととは関係なくですが)


今、村会議員も務めながら、療育施設で言語聴覚士として週に1〜2回、ことばや発達の相談に乗らせてもらったり、自分らしさに向き合うHappy Firstというオンラインコミュニティの運営をお手伝いさせてもらったり、趣味が高じてバスケのコーチを泰阜村と隣の下條村、地域で声が掛かればどこへでもという感じでしていたり、、、と、四足のわらじを履いて活動しています。

このnoteは地方自治に関わることをまとめておこうと思っていたのですが、いろいろなことをしていると、いろいろなところでnoteや発信がバラバラしてしまうので、地方自治に関わることでなくても、関わったことや感じたことはここに残しておこうと思います。私がいなくなった時のためにも!(まだしばらく元気ですが笑)



🔹始めに。


4年ほど前から、こんなタイトルで、年に2回ほど療育施設に通ってきてくださっているお母さん向けに講演をさせてもらっています。
私のキャリアは、大学卒業後、天龍村のフリースクールの立ち上げ→交通事故で働けなくなり自宅療養→リクルートで営業→長男の吃音をきっかけに言語聴覚士の養成校へ2年間通う→言語聴覚士として地域の急性期病院で働く→オーバーワークと長男の不登校のため退職し、不登校の長男を家で見ながらやりたいことを少しずつする。というような感じで来ています。

ようするに、言語聴覚士になろうと思ったのは、社会に出てから。
子育てをしながら、でした。当時長男が、吃音やその他諸々の育てにくさがあり、とにかく必死でした。当時は旦那さんがお店をしていたのですが、なかなか大変な状況だったので家計を支えながらの子育てで、手がかかる長男に十分な手をかけてあげられなかった。そんな思いをずっと抱えてきました。長男の吃音も、手先の不器用さも、コミュニケーションがうまく取れないことも、偏食も、全部自分のせいだと思っていました。
そんな長男も、18歳になり、今は旦那さんの実家の三重県で映像・動画クリエイターとして活動しながら通信制高校に通っていて、私の誕生日には「お誕生日おめでとう」とメッセージをくれたりと、人とは違う生き方をしていますが、とっても可愛く頼りになる子になりました。

そんな風に、長男が成長してようやく私は、
専門職として、子育てに悩んでらっしゃるお母さん方に、
「お子さんの育てにくさや、障がいは、お母さんのせいではありません」
と、100%自信を持って、伝えられるようになりました。

この講演会ではいつも、ことばを獲得するまでの話の後に、頑張っているお母さんへのメッセージを入れています。(今回は、飛び入りでお父さんの参加があったので、急遽タイトルに「お父さん」を追加しました。お父さんのご参加とっても嬉しかったです)

🔹発達とは。

私は、いろんなことをしている、中途半端な複業STなので、ずっとこの領域でご活躍の先生たちには絶対に叶わないし、下手なことは言わないように、、、と細心の注意をいつも払っているのですが、大変な子育てをしてきたからこそ、今悩んでいるお母さん方に伝えておきたいことがどうしてもあります。
ことばの発達が遅れる要因には様々なものがあるのですが、ただ、一つ、絶対に思うのは、

「発達が早い方がいい」
「発達が遅いと幸せではない」
ということは、正解ではない。

ということです。
日本の教育システム上、所定の年齢に健診や就学があり、どうしても同年齢の他のお子さんと発達を比べられる機会があります。
私も発達検査をとりますし、発達年齢も発達指数も出す仕事もしています。でも、そのシステム自体に疑問をいつも感じています。

Wikipediaによると発達とは

↑心理学上の定義
↑医学上の区別と定義

要するに、発達とは。。。

と、いうことなんです。
いつまでに、じゃなくて、「首が座る」→「寝返りができる」→「ずりばいができる」→「お座りができる」→「高バイができる」→「つかまり立ちができる」→「歩けるようになる」という発達の階段を、
その子なりのペースで登っていくこと。

「早く」なくて大丈夫です。

これまで、見てきたたくさんのお子さんたち。
言葉が全く話せず諦めかけていたダウン症の子は小学2年生で急にたくさん言葉が出てきました。
エコラリア(おうむ返し)しかなかったASDのお子さんは小学5年生になった時に普通に会話ができるようになりました。
全く漢字が覚えられなかった長男は、「スマホがあれば大丈夫。字のことを馬鹿にする人とは働かないから大丈夫」と言えるようにもなりました。

発達とは、ある年齢になることではなく、その子なりに、その子なりのペースで積み重なっていくもので。
私たち親にできるのは、「いつかできる」と信じて、毎日楽しく、ご飯を一緒に食べたり、ぐっすり眠れるように、ご機嫌よく過ごせるようにしておくことだと思うのです。

それでいい、という根拠を、脳の発生の話からいつもしています。
受精卵からどのように神経がつながっていくのか?
脳幹ができ、辺縁系ができ、そして大脳皮質ができていく。
中川信子先生の本を参考に、脳の発達を鏡餅にして、
お母さん方に伝えています。

それでも、「早く話してほしい」
と思うのが親心。。。ですよね。

発信(言葉を話すこと)より受信(言葉がわかること)
の方が大切なのですが、やっぱり、話してほしいですよね。。。
「わかる方が大切」というのは、成人語で6語理解できると単語が1つ、
9つ理解できると単語が3つ話せる、というデータもあり、わかることが増えた時に、単語が出てきますし、「ことば」というシンボルの理解ができるまで、「モノには名前がある」ということに気づくまでの道のりも、簡単ではなかったりします。

特に、ASD(自閉症スペクトラム)のお子さんたちは、
・耳からの情報処理が苦手
・他者への興味の弱さ
からどうしても言語発達がゆっくりになります。
話せるようになっても、会話が成り立たないということも・・・。

そうしたお子さんを育ててらっしゃるお母さん方のお気持ちに、いつもいつもしっかり寄り添いたいと思うのですが、寄り添いきれているか・・・

ただ、でも、自分の子育てを思っても、
どうか焦らず、「寝る」「食べる」「気持ちの良い」「楽しい」「もっとやりたい!」といった生活や、遊びを大切にして頂きたいのですね。
遠回りのようで、それが一番、ことばの発達にも繋がるのだと色々なお子さんを見てきて、それはやっぱり本当だなと思います。

🔹どんな子育ても間違いじゃない。

お子さんへの愛が深ければ深いほど、悩んでしまいますよね。
周りとも、比べてしまいますよね。。。。
私が、子育てをしていてかけてもらって嬉しかった言葉を、いつも最後に、お母さん方に紹介しています。

標準に振り回されないで。


どんな子育ても「間違い」じゃない。①


どんな子育ても間違いじゃない。②


最後に、息子が学校に行けなくなった時・・・
自分のせいだと責めていた時、言語聴覚士の大先輩であり、
日本の吃音臨床を引っ張ってこられている東御市民病院の餅田亜希子先生から頂いた言葉を、お母さん方に送らせていただいています。
餅田先生ほど、患者様に寄り添ってこられている先生を私は知りません。

「いいお母さん」にならなくても大丈夫。
『あなたは、かけがえのない、
 たった一人のお母さん』


「普通に育ってほしい」
と、何度思ったか私もわかりません。
そう思って、願って、当然だと思います。

そんな私は、今は、息子だけでなく
相談に来てくれるお子さんひとりひとりに、
「どこまでも、君らしくあれ」
と心から思います。

その子なりの成長を見守り、
お母さんたちが、お子さんなりの、
お子さんだからこその生き方や幸せを
心から認め、喜べるように。
お母さんおひとりおひとりを、
心から応援しています。

私もこれから、言語聴覚士の域を超えて、
お母さんやいろんなお子さんたちを
応援していきたいな、と。
どんな子たちでも、安心して暮らせる、
そんな社会を作りたいなと・・・
行動していきたいなと、ようやく、ようやく、
思えるようになりました。


野々山直美
・言語聴覚士
・バスケコーチ
・村会議員
中学生で、父の人生をかけた選挙を経験。軽く人間不信になる。
23歳生死をさまよう交通事故、顔面8箇所折り、右鼻をなくし歯を2本折る。
その後、大手広告会社にて営業職となる。
与えられた目標は常に達成し月間、四半期、通期など何かしらMVPを毎年受賞。5年ほど勤めた後、息子の発達障害を機に退職。
子育てをしながら言語聴覚士の養成校に2年間通い、言語聴覚士となり医療業界へ。田舎の病院で、たくさんのお年寄りを看取る。
現在、バスケのコーチ、発達障害のお子さんの相談、地方議員などを務める。


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