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リウマチ寛解への道 「これでいいのだ 」by バカボンのパパ

いろんな人が、いろんな気づきを経て治っていくのが病。その人それぞれの道のりを経て治っていくものもあれば治らないものもあるのだろうと感じる。

私自身は、病を治すことに執着していた。
自分は治せると過信もしていた。
1日でも早く治し、育児仕事復帰する!そしてこれ以上夫や周りに迷惑をかけないで生きるんだ、という思いが執念になっていた。

そのメラメラと燃える執念と執着の火の玉🔥は怒りの火の玉みたいで、それが私を日々前に進ませてくれる原動力でもあったのだけど、そこを手放した瞬間に、細胞に「治癒」スイッチが入ったと感じた。

あくまで人それぞれだから、「私はこうして治った」としか表現の使用がない。
みんな生まれてきたときの計画、アカシックも違うのだから、病気になる、それが治る方法もきっかけも違って当然だ。私の場合は治すことへの執着を捨てたことだったと感じる。

私が病気の自分の人生を受け入れることができた瞬間だった。
不思議な感覚だった。
「仕方ないこともある」
「治らないで、ずっとこのまま動けない人生が、もしかしたら自分の人生としてあり得るのかも」
「これは10年戦手で付き合う状況(病)と言う気持ちで焦らず行こう」

動けなくなった私も、私なんだ
これが大きかったです。
病気でいることが、自分がこの世で生きていることが周りに迷惑をかけていると感じて生きていたことに気づきました。

いいのよ私。
動けなくても、それでも私なの、
ゆっくり行こう、
私は私に話しました。

夫にも気持ちを伝えました。
治ることは諦めたくないけれど、治らない自分がいるかもしれない。そして私はそれを受け入れる。そんな私をよろしくね、と思いを伝えたんです。
正直、夫に伝える行為は自分との誓いを立てることで、まるで人生の別の扉を開けるような思いで挑戦でした。どうでも良くなんてない。私の魂と、身体に私は向き合う。

治癒を目標に意地になっていた自分、
治すことへ執着していた自分、
その鎧が重くて脱いだ瞬間でした。

そこから変化が生まれた。
現実に、体に変化を感じた時でした。

足を ぎゅーっと伸ばして、朝ベットで目覚めると背伸びができる。
驚きと
その有り難さ。
トイレに不自由なく行ける。

一階まで階段が降りれ、
冷蔵庫のドアが開けられる。

ちょっとづつ出来ることが増えていく毎日の喜び。

今日は歩けそう、今日は昨日よりもっと歩けそう、と心から湧き上がる感じ。
そして、ワクワクする感覚。
そのワクワクに身を任せて、やってみると出来る、歩ける。
生まれたばかりのような、
全てがリセットされて、
初めて体験するようなワクワク。
ただただ 奇跡の日々、奇跡の連続でした。

薬が効いたとか、
食事療養が効いたとか、
アーユルベーダ治療の効果だとか
ゆらし療法だ、サプリが効いた、
とかじゃないと思う。

まさに「病は気から」。
メンタル、心のあり方が変わって、
細胞が変化したのだと感じる。

私の細胞が私の細胞を攻撃することをやめ始めた、
そう感じた。
細胞の振動を感じた。
心のあり方、気の持ちようが変化したので薬も聞き始めたのだと思う。

気を遣って生きること、もうしない。
バカボンのパパの「これでいいのだ」で生きる。
バカボンのパパはとても奥深い。

CRPは0.5へ一気にダウン。もう平常値だ。
まさに奇跡が起きたんです。

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