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広島への旅 遅れた修学旅行

日本の中学校、高校での修学旅行に強い憧れがあった息子。日本の友達が行った定番の修学旅行先地へ連れて行った。

学校嫌いで、小学校から高校までの夢も口癖も言ってみれば七夕のかんざくにも「退学する」だった息子。今回大学を一年で退学したので退学旅行になったのだ。

仙台空港から広島へ飛び、美しい山陰地方の山を見下ろして到着した初日は、空港から直接平和記念公園付近に到着する高速バスに乗り込み、原爆資料館へ行く。

いつもおちゃらけて不真面目な息子も、一つ一つ丁寧にゆっくり解説を読んで進んでいく。

外国人観光客でいっぱいの館内を見渡すと、涙を流す旅行客がちらほら見える。

シュツッツガルトとロゴが入ったスポーツシャツとパンツの大柄で若いドイツ人の団体と遭遇する。ドイツ人だ。みんな腕組みして無言で見入っている。コーチだろうと思われる方も。

人の命の重さがそこにいる多くの人の心に届いている、そう感じる場所、空間で
これからの世界は、良い方向へ向かっている、そう感じました。

息子も、高校生ではなく、もしかしたら今きたからもっと感じる部分もあったのかな、そう見えました。
30年前に私が高校の平和教育でここを訪れた時から資料館は新しくなり、
展示物も新しくなっていました。

思ったほど観光客で混み合ってはおらず、ゆっくり ゆっくり 全てを観ることができました。
その後は、あまりの衝撃で、しばし無言で川沿いを歩き、現実逃避気味に、アーケードに戻ってミスタードーナツで息子とドーナツを食べて、また公園へ戻り原爆ドームの前でぼーっとしていました。
赤い夕日がかった原爆ドームが目の裏に焼き付きました。それが美しくも悲しくもあるんです。

日が長い7月、広島の中心街を散策し、広島城を見て宿に来ました。

宿のバーで、近所に住むサラリーマンのナカさんに会いました。平和記念公園へ行ったというと、
「すごい衝撃だったでしょ」と。 
その一言がとにかく重かく、
教科書どうりのコメントはできない、と感じました。
ドイツ人マンシャフトみたいな人たちがいたことを話すと、
シュツッツガルトと広島の地元サッカーチムが翌日に友好試合があつことを知りました。

8月9日の追悼式に向けてテントが張られていました。
高校生かな。
初めての広島お好み焼き 宿のおすすめで美味しかったです。


お宿はゲストハウス ROKUで、ツインルームを頼みました。お宿の人たちの雰囲気も、お客さんの雰囲気もとても良く、お部屋は古い町屋を改装しているので、壁は薄いのですが、とても快適でした。 朝は5時からしょうじに差し込む光と蝉の大合唱に目を覚まします。窓に蝉がくっついていたのかしら? 
外国人観光客も、蝉の声と網戸なしの日本の朝になれているのだろうと感じました。
オランダ人の子とベルギー人の19歳の子とブラジル日系の人と知り合いました。ベルギー後ってどんな感じなの? と聞く宿スタッフに対し、日本語で「ベルギー語はオランダのフランダース弁です」と説明する彼の天才的センスに驚きました。これは一本取られた。

ブラジル人の方は熊野古道を歩くと言っていました。マニアだなあ。すばらしい。だけどこの暑さの中? 

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