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帰る場所があるということ
帰る場所があるって、しあわせなことだ。
先日、友達に誘われて10年ぶりくらいに大学の学園祭に行ってきた。友だちは農学部で学園祭で神輿(みこし)を毎年担いでいたので、文学部でただ模擬店の店番をおしゃべりしながら参加していたわたしとは学園祭への思い入れが違った。卒業していても当時と同じ熱い気持ちで門をくぐったんだろうなと思った。新しくできたベルサイユ宮殿のような校舎を横目にして、すごっとぼそぼそ言いながら、急な登り坂の上にある文学部を目指した。
ふらっと入ったベルサイユ宮殿に文学部のゼミ展示が開催されていたので、ちらっと見てこ、くらいの気持ちで入ったら、いたのだ。遅刻はよくするし、授業中は寝てばかりのわたしに、よく来たじゃない!とか今日は半分起きれていたわね!と、仏のような声掛けをして大学に通うモチベーションを上げてくれていた教授が、受付にいた。
人は、驚いたときに数秒声が出なくなるらしい。2人して口をぱくぱくさせていた。60歳前の女性が手を振りながら口をぱくぱくさせているのが、とても可愛らしかった。フルネームでわたしを呼んでくれた。(脳内にある卒業生というフォルダーから、わたしの顔を見てぽんっと名前を出力できる教授のすごさ)そうだ、わたし○○(旧姓)だったんだ、と教授が呼んだフルネームのおかげで昔を思い出せた。大切なものをこの場所でたくさんもらっていた。この10年で大きく変わったものはあるけれど、根本は変わってないし変われていないし、きっと変わろうとしていない。
「あなたもとてもチャーミングで素敵よ、落ち着いて品のある女性になられている。」選ぶ言葉が美しくて優しい。だから教授に仕事を休職していて退職することを伝えたくなった。
「まずは教員になろうと思ってくれてありがとう。そして教員を続けてくれてありがとう」と目を見ていってくれた。続けて「人間は体と心が基本なのだから、つらくなったら休んだり辞めたりすることは当たり前のことですよ。あなたは当たり前ができている。当たり前のことができていればこれからも大丈夫です。」最後に「よくいままで頑張りましたね」と言われて、周りのピチピチしている10歳以上下の大学生たちを前にして、堂々と、笑顔で泣いた。
こういう人を先生と呼ぶんだな、と思った。教授からの「寄り添う」を全身で感じた。
わたしはあの子たちに寄り添えてただろうか。忙しさを理由に逃げていたのではないか、話をもっと聞けたのではないか、鮮明に子どもたちの顔が出てくる。名前も顔も、得意なことも苦手な教科も、好きな給食のメニューも、全部覚えている、そんな自分にびっくりして(教授みたいじゃん、わたしもしっかり先生してたんじゃん)と気付いて、うれしくて、はずがしがることもなく人前で泣いた。人前で泣いたのは休職前、職場で泣いたとき以来。今回は悲しいからじゃない、うれしいから泣いている。
退職して本屋さんを開く夢を叶えられたときに、また教授に会いに行こう。次も「あなたは素敵よ」と言ってもらえるような生きていこうと決めると、目の前にある急な上り坂もスキップして登れる気がした。わたしには帰る場所がここにもあった。