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「どっちの名字にしようか」という会話はどうやら稀らしい

悩みと周囲の反応

「名字どうする?」「どっちがいいかな?」「変えたい?変えたくない?」

入籍を考え出したと同時に、私の家では、こんな質問が多く飛び交った。
私は自分の名字に愛着があり、変わるということが正直イメージができなかった。そんな中で、悩んでいるということを周りに相談することに。

「そもそもそんなこと考えたことなかった。」
「当たり前のように、夫の名字に変わったから、そんな会話もないよ!」
「私が変えるもんだと思ってたから、疑問を抱いたこともない。」

ほとんどの人から、こんな答えが返ってきたのだ。このとき、私はこの話をすること自体が稀なことだったんだと知った。

お互いが納得できる形に

私はというと、結婚=女性が名字を変えて当たり前という無意識的な風潮に、ずっと疑問を抱いていた。そして、そもそも名字を必ずどちらかが変えなくてはいけないということにも、若干のもやもやを感じていたのである。

さっきも言ったように、私は自分の名字が好きだったので、可能ならば変えたくなかった。そしてこの思いを言わなかったら、あとあと後悔するであろうことも容易に想像できた。

「いいよ。自分はどっちでもいいと思ってたし。じゃあ、僕が変えることにしよう。」

勇気を持って、正直な気持ちを夫に言ったとき、夫は拍子抜けするくらい、あっさりと理解し、私たちの場合は、こうして夫が私の名字にすることになったのだ。

もっと選択肢を

さまざま議論を交わす中、夫婦別姓の選択も考えたが、今の日本では入籍した方が生きやすいのは事実だし、身内に何かがあったとき、籍を入れていた方ができることもある。

長時間話して、私たちは結果として夫が名字を変えるという選択をとった。後悔もしていない。

しかし、名字を一緒にする夫婦も、別姓を選択する夫婦も、どちらを選んでも同等の権利がある世の中になってほしいなぁと、改めて考えるきっかけになった。

これまで当たり前だったことにふと目を向けて、考えてみる、話してみる。
夫婦でもパートナーでも、恋人でも、親子でも、ふとそんなことを考えてみる時間がもっと増えたらいいかもしれない。


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なおみ|田舎暮らしライター
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