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シネマの記憶010 母なる証明

 中年の女性がひとり、枯れ野を歩いてくる。笑っているようにも見えるし、深い悲しみを抱えているようにも見える。やがてゆっくり身体を揺らして踊り始め、いつしかタンゴの音楽が流れ始める。これ、韓国映画「母なる証明」(原題:MOTHER)のオープニングである。

 ある日、すこし頭の弱い一人息子が少女殺しの容疑者として逮捕される。しかし、息子がまだ幼い頃に夫に先立たれ女手ひとつで育ててきた彼女にとって、息子は溺愛の対象だったに違いない。

 息子にかぎって、そんな残忍なことをするはずがない。濡れ衣に決まってるじゃないの。怠惰な警察も弁護士も、頼りにはならない。ひょっとしたら、真犯人探しの障害にさえなりかねない。母は、息子の友人のチカラを借りて、真犯人探しに奔走することになる。

 やがて、殺された少女の素顔があらわになり、息子の幼い頃の記憶がよみがえり、ある目撃者との出会いがあり、と、物語は思わぬ展開を見せることになるのだけれど、この映画は、サスペンスの手法を踏襲しつつ、かならずしも「犯人探し」がテーマではない。これは、犯人探し=真実の追求が、ついには悲劇につながっていく物語なのだ。しかもその悲劇は、母なるものが宿命的に持つ二面性=慈愛と自己中心性が、みずから引き寄せたものであるという滑稽さも併せ持っている。

 当時、映画館を出たあと、いつものように物語を反芻していると、自らの出生の秘密を探し求めるギリシャの若き王オイディプスの姿が浮かび上がり、この映画の「真実」を追い求める母の姿に重なってきた。血の呪縛が、「真実」を性急に追い求める行為そのものが、ついに悲劇を招いてしまうところまで、じつによく似ている。

 原案、脚本、監督、ポン・ジュノ。この人、おそらく確信犯だと思う。母親役に、韓国の母と呼ばれているらしいキム・ヘジャ。女優の吉行和子さんに似てるんだよなあ、このひと。声質までそっくりなんだから。息子トジュン役にウォンピン。韓国の四天王の一人らしいけど、私はトジュンの悪友役のチン・グが気に入った。それにしても、ずっしりと堪える作品だった。エンドロールが終わるまで、しばらく席から立ち上がれなかったことを、いまでも身体が覚えている。

 読み返したわけじゃないし、勝手な思い込みかも知れないのだけれど、さきほど紹介したギリシャの若き王の物語とは、ソポクレスの「オイディプス王」(新潮文庫)。「母の呪縛」の物語として読み直したら、面白いかも知れない。

画像出典:映画.com

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