職員会議で寝る人たち
"職員会議"と聞くと「学校っぽいね〜」と思われる方も多いと思います。
私の記憶では自分が小学生だった頃、職員会議は木曜日でした。
先生たちの会議があるため、私たちは早く帰れる日だったと記憶しています。
そんな"職員会議"に参加する側になったのだなぁ〜。
と、自分が教員になった時は感じていました。
学校現場において職員会議の在り方は時代とともに変化しています。
もちろん自治体にもよる部分もたくさんありますが。
年配の教諭たちに聞くと、昔の職員会議は荒れに荒れていたとか。
それは、悪い意味ではなく。むしろ良い意味でした。
というのも、昔は教員側にかなりの発言権がありました。
「そんなやり方では納得いかない」とか、
「そんなやり方では子どもたちが成長しない」とか、
「何なんだその制度は!」とか。
そういった発言権が教員側にあり、その発言が成される場が職員会議でした。
時には熱くなりすぎた教員が熱弁し、管理職とやり合い...罵倒や怒号が飛び交う場面も。
そうやってある意味"情熱"を持って学校の向かうべき方向性を決めていたそうです。
その時代の職員会議...というか学校経営における管理職の負担は計り知れません。相当なものだったと思います。
かつては組合も強く、"管理職VS教員"と言っても過言ではなかったと思います。
私は大阪府下の高等学校に勤めていましたが、強烈に覚えている職員会議があります。
大阪府では、国歌斉唱の時に教職員の起立と君が代を斉唱することが義務付けられていました。これは校長からの"職務命令"であり、従わない場合には何らかの制裁が加えられます。
よって、職員会議で校長がこれを"職務命令"として教職員に伝えるのですが、後になって「職員会議に出ていなかったので聞いていなかった」と言って、式典で歌わない教職員が現れないよう、この時ばかりはきちんと職員会議の出欠をとり、仮に出席していない教職員がいた場合には後日その教職員を呼び出し、"職務命令"として校長が伝えるほどでした。
生徒に関して言えば、学校現場には日本国籍ではない生徒もたくさんいます。
よって、"君が代を起立して斉唱する"という行為自体に疑問を持つ生徒もいます。歴史的背景から、そういった生徒がいるということ、そしてもちろん公務員である私たちにも"選ぶ権利"があるということ。
私が勤めたとある高等学校では、この国歌斉唱に関する"職務命令"が出されると必ず、「この職務命令は人権を侵害している」と発言する教諭がいました。
しかし、彼がそういった発言をしたからと言って、何かが変わる訳ではありません。
校長は「はい、ご意見は承りました」という感じで、何も変わらないのです。
そう、現代の職員会議はただの"連絡会"です。
大量の資料がマス刷りされ、教職員たちがその資料を手に取り、
「はいはい、そうですか」と、連絡を聞く。
年配の教諭たちが言うような、情熱と情熱がぶつかり合う場ではありません。
だから...と言っては何ですが、私は今の状態であれば職員会議は"無駄な時間"だと思っていました。
資料を上から順に読むだけなのであれば、PDF化してクラウドにあげてくれれば良いのです。その方がよっぽどエコです。
しかし、ICTが整備されていない学校現場ではそういったデータを蓄積する場や、教職員一人ひとりが資料を確認するためのPCを貸与されていない。
という現実から、それが叶わないのでした。
また「確認しておいてください」では読まない人も出てきます。
よって、"連絡会"と化した職員会議では居眠りをする人がたくさんいます。
"たくさん"と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、夜21時まで残業せざるを得ない教職員にとっては"仮眠の場"と化してしまうのです。
もちろん寝てもいい場ではありません。
しかし、"これって意味あるの?"という気持ちがどうしても渦巻いてしまうのかもしれません。
そして「こんなのやめようよ」という教職員の声はあったとしても、もはや文部科学省には届きません。
トップダウン化してしまった教育現場の働き方の中では、現場の教職員の意見はほとんど聞き入れられなくなってきています。
「職員会議やりました」
という、実績というかたちばかりを追いかける学校現場では、
教職員の居眠りも増えるばかりなのでしょう。
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