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日本の英語教育が進まない理由を考える
こんにちは!先日、ロッテルダム全日制日本人学校の教員2名がオランダの現地小学校、とりわけ私が関与させてもらっている公立のバイリンガル小学校の授業の視察に来られました。
この先生方2名は英語を理解し、話されることもあって、私としては通訳が必要のない状況でオランダの教室を観察してもらうことが可能であることに価値を感じました。私が授業担当の相方であるMarian(仮名)の授業を見学するのはこれで3回目です。
彼女は小6の担任でもあります。そんな彼女と一緒に授業を進めながら、そして彼女の授業を見ながら、日本の英語教育が進まない理由を自分なりに経験から考えました。Voicyでもお話していますので、ご興味がある方はそちらでも是非。
日本の子どもたちにとって英語は「必要性のないもの」
私たちが教えるオランダの子どもたちに「何故、英語を勉強する必要があると思う?」と聞けば、その理由は様々ですが、「必要性を感じている」というのがその発言に色濃く出ていることは確かです。
「カフェやレストランでも英語を話している人たちをたくさん見るから」
「海外の映画を観たら、英語で話しているし、字幕を読むよりもそのまま理解したい」
「オンラインゲームで海外の仲間とチャットするのは英語だから」
「テイラースイフトの曲の歌詞は英語だし、何て書いてあるか知りたい」
「休暇中に海外(隣国ドイツ、フランス)へ行けば、誰もオランダ語を話してはくれないし、英語を話すしかない」
ここで分かるのは「教科だからやらないといけない」と感じているというよりは、日常生活の中にある「必要性」を感じているからこそ「学校で学ぶ理由には納得がいく」ということです。仮に、日常生活や休暇においてその必要性を感じなければ、きっと彼らが小学生として英語を学ぶモチベーションは低くなるでしょう。
しかし、日本では一般的に人々は「英語を話す必要性」を感じていません。いくら英会話教室が夥しい数で広告を並べたとしても、誰かが「これからの時代は英語が必要だ!」と叫んだとしても、実際の暮らしの中では「いらないよね」となっているのです。
ヨーロッパでも英語が話せる人たちの肌感はまちまちだけど
もちろん、オランダはお隣にイギリスをもち、隣国はフランスやドイツ…と「外国」というものと隣り合わせです。だとしたら、ドイツやフランス、イタリアやスペインといった国の人たちもまたオランダの人たちと同じように英語が得意なのでしょうか?…と言えば、実際に足を運んだ人ならわかるように、庶民レベルで英語がペラペラな人たちの肌感による割合は国によって大きく異なります。
例えば、オランダ語と英語、そしてドイツ語の言語属性は「西ゲルマン言語」としてとても似ていることは、もちろんオランダの人たちが英語を学びやすいと感じる1つの理由だと思います。だとしたら、ドイツの人たちも同様に英語をオランダの人たちのように話すのでしょうか…と思えば、もちろん人によって感じ方は様々だとは思いますが、ドイツのバイリンガル教育はオランダほど成功したものとは捉えられていないようです。
つまり、オランダは様々な人々が一緒に暮らす国(もちろん言語も異なる)に加えて、独自のメソッドでバイリンガル教育を発展させてきたと言えるでしょう。それについてはまた書いていきたいと思います。
英語の教え方を知らない?
よく、日本の英語教育は教育トピックとして槍玉に挙げられるのですが、そこで困っているのは英語教員たちかもしれません。そして、最近ではその年齢が引き下げられ、小学校の先生たちにまでプレッシャーが至っています。
元英語高校教員として時に「高校の英語はオールイングリッシュで」というのを求められてきた人間として言えるのは、「私たちは英語で英語を教える方法を知らない、学ぶ機会を十分に与えられてきていない」ということだと思います。
「え?そんなことあるの?」と思われるかもしれませんが、日本の教員養成課程は非常に脆弱です。教員が育ちにくいと言えるかもしれません。4年間の教員養成課程の中で教育実習は4週間…これは世界でも類を見ない短さかもしれません。実践経験が不足しているだけならまだしも(これももちろん問題ですが)、個人的な経験として、英語に関して言えば「児童生徒に英語という言語を教えるとはどういうことなのか」という学問的な部分もかなり抜け落ちていたように思います(今はどうかわかりませんが…)。今はもう少し変わっていて欲しいとは願いますが、少なくとも私が在籍していた頃を思い返しても「教員養成課程がとても実りががあるものだった」と感じることはありません。
ちなみに、私は関西外国語大学出身なのですが、関西外大は一時期、日本で最もたくさんの英語教員を輩出した大学としても知られていました。そんな大学に在籍していた「外大生」の私でさえ、大学で「英語で英語を教える」ということを当時、現場で活かせるかたちで学んでいると感じていませんでした。そして現場に放り出されます。そこからやっと「自己流」の英語指導が始まるのです…もちろん「そんなことないよ!」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。大学で多くを学んだ!と。そういう方たちの存在を否定するつもりはありませんが、私はあくまで「全体的な流れ」としての英語教員の養成に問題点を感じています。
そしてさらに言えば、オランダの小学校の先生たちを見ていて思うのは、彼ら/彼女たちが教育者として学び続けようという姿勢を見せる時、そこにはいつも「サポート」があります。つまり、教員になってからも、日本に比べると時間的余裕と金銭的余裕が与えられて「成長しよう」と教育者たちが思える可能性が高いということです。
しかし、日本の場合はどうでしょうか?日本の(特に公教育の)教育者たちは「自己研鑽」を押し付けられる傾向も強いです。「教育者として成長が必要だと思いますか?」「だとしたら、自分で研修に出かけますよね?」「時間を自ら割きますよね?」「費用も自己負担しますよね?自己研鑽ですもんね?」というように(ちょっと極端ですが。笑)迫られている感覚を持っている人たちも多いのではないでしょうか?
仮に、オランダの教育者たちが同じ状況に置かれたらどうかな…と考えたら、恐らく誰もその「自己研鑽」を喜んで受け入れることはないと思います。笑 それくらい、「私の教育者としての成長を望むなら、時間とお金を与えよ」と彼らは当然に思っているということかもしれません。
人の発音を笑う状況に「ピシッ」と線を引けるか
「言語を学ぶ」というのは、とても特別な学習機会です。私たちが「頭ではわかっているけれど言葉で表現できない、その方法を持っていない」という感覚を抱くのは、言語を学んでいる時くらいにしかありません。
例えば"3×3=6"という言い方や答えが日本語でわかっていたとしても、「それを英語で言ってみて」と言われると「え?×(かける)って英語で何て言うんやったっけ…?」となることがあります。これは、表現する方法自体を人質に取られている状況で、「言いたいのに言えない!」が起こります。
「頭ではわかっているのに、何て言うのかわからない」というのは、ただ単に「答えがわからない」とは違います。だからこそ、その発達途上にいる児童生徒には「言い方を間違える」とか「発音が正しくできない」という成長段階が付随してくるのですが、それが「恥ずかしい」と思わされたり、感じさせられる教室はまず、言語を習得する上で土台ができていないと言えるかもしれません。
この動画で、少年はクリスティアーノ・ロナウドを前に、「彼(ロナウド)の言語で」質問をしているのですが、ロナウドはその努力をとても美しいと感じている反面、たどたどしいポルトガル語の発音や表現に、日本人側の人間は笑っているのです。
この感覚の違いが、オランダと日本の教室の違いかもしれません。そして、もちろんここにいる日本人の人々と同様に、オランダの小学校の子どもたちも人の発音や表現を笑うことがあります。でも、オランダの教師のほとんどはその「可笑しい状況」に乗っかることはまずありません。少なくとも私はそういった状況を一度も見たことがありません。
「何かに挑戦する時、失敗やミスはつきものである」という立場の人間が、子どもたちの笑いに便乗することがあってはいけないのです。そして、それは実は学校現場の人間だけに限らず、社会の中でも「気をつけないといけないこと」だと思います。私たちは「人の努力の過程」を笑ってしまっていることはないか?と。
制度的や構造的な問題と、マインドセット的な問題
個人的に、日本の英語教育が思うように進まないのには、構造的な問題。とりわけ、脆弱な教員養成課程と、プロフェッションを磨くための潤沢な予算が不足しています。英語における教員養成課程の授業は全て英語で行われるくらいの勢いや、それこそ英語教員を目指す人には長期留学を義務付けるくらいのカリキュラムも必要かもしれません。
そして、英語教員が最新の英語指導にキャッチアップできるくらいの予算をあてて、ずっと学び続けられるような機会を与え続けていくことも必要でしょう。私の相方であるMarianeは今もまだ「英語を教える立場の人間としての成長機会」を国を通して学校から与え続けられ、良い研修の内容は私に共有してくれます。彼女はずっと教育者として成長しているのです。
「まずは与える」というところから、教育者としての成長を見守り、その学びを通して教育者のマインドセットを変えていく。それくらいの勢いや気概がなければ、日本の英語教育は今よりももっと前に進むことはないような気がしています。
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![🇳🇱三島菜央<現地小学校TA/ET|元高等学校教諭>](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93184515/profile_3f6db3e537c4f6c3f63e3cf40a5108e7.png?width=600&crop=1:1,smart)