オランダ人パパが日本旅行で感じた、自己犠牲で成り立つ社会への憂い
こんにちは!
今日は、娘が通う小学校の打ち上げパーティーでした。
娘はgroep1からgroep2になり、その間クラス替えはなく、今のクラスで2年を過ごしてきたのですが、このクラスが子どもたちだけでなく保護者も仲が良く...去年も1年の終わりに学年末のパーティーをしたのでした。
今年もタイミング良くコロナの規制が緩くなった!ということで開催されたパーティー。多くの家族が参加して、子どもたちは恵まれた天候の中、海へ入ったり、砂遊び、泥遊びをしたり...と楽しそうに過ごしていました。
「東京のUNIQLOで買ったTシャツを着てきたよ〜!」
1人のパパ、Peter(仮名)は、いかにも日本風の渋いTシャツを着て来ていました。
「おっ!めっちゃ日本風なシャツ着て来てるやん〜!」と私が言うと、
「今日は菜央たちが来るから、わざわざ東京で買ったこのシャツを着てきたのさ!笑」とのこと。嬉しいです。笑
北斎風のデザインで描かれたそのシャツは「富嶽三十六景」(だそうですが。笑)背が高いPeterは、
「こっちのサイズだと普通サイズなのに、日本だと1番大きいサイズでびっくりしたよ。笑」
と言っていました。
夫婦で2年に1回「一人旅行」をプレゼント
「東京にはいつ行ったの?」と聞くと、
「2年半前くらいかな?」とのこと。
「僕たち夫婦は2年に1回、1週間くらいの旅行をプレゼントしあっていてね。その時は僕の番で、子どもたちを妻に預けて、友だちと10日間日本旅行に行ったんだ」
なんと素敵な夫婦の決めごと!
「子育てに仕事に大変だからね。数年に1回は全てを投げ出して、友だちと思いっきり旅行を楽しむことも必要だっていう考えでね、うちは」
こういった夫婦の決めごとがある夫婦を他にも知っていますが、ここにも自分を「誰かの親」としてではなく、「自分」として生きる姿勢を感じることができる。個人主義ってこういうことだな。と感じるところがあります。
「日本は本当に素敵な国だ」
「日本は楽しかった?どこに行ったの?」と聞くと、
「東京と日光に行ったんだ。とても楽しかったし、美しかった。本当に素敵な国だと思ったし、とても素敵な文化がある国だと思ったよ」とのこと。
どこに行っても人々が丁寧に接してくれたこと、ショッキングな経験をすることなく、とても快適な旅行をできたことを伝えてくれたのでした。
誰かが辛い思いをしているなら、利便性は手放せる
ただ同時に、あまりにも便利すぎる日本の夜に違和感を感じたと言います。
「利便性を手放したい」「不便であることは問題ではない」
Peterは便利さの代わりに犠牲にされているものにまで手を伸ばして、それが何なのか、何故そこにあるのかを問いかけているようでした。
誰かの犠牲の上にあるものを心から喜んで享受できない
とても本質を突いた意見だなと思いました。誰かが辛い思いをしているサービスを受け取ることが辛い。消費者としてでなく、日頃から生産者としてのマインドを持って生きているんだと感じました。
加速する消費活動から抜け出したい。
もっと本質を見つめたい。そう聞こえるのでした。
自分をもっと大切にすること
「自分を大切にしてるかい?」
「そもそも、自分の大切にすることが何かわかっているかい?」
「それに照らし合わせて人生を生きてるかい?」
Peterの問いかけは簡単な質問のようで、とても哲学的だと思ったのでした。
消費が加速する時代に、彼のような問いを立ててくれる人が必要ではないか。
そんな風に思っています。