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宝塚音楽学校の自殺者は自分だったかも?と思って

こんにちは!先日、Youtubeで宝塚音楽学校の団員の方が亡くなられたというニュースを目にしました。私は宝塚音楽学校の出身ではありませんが、実は高校在籍時代には宝塚音楽学校で指導をされている講師の方々に、楽典とピアノ指導を受けていました。…というような、音楽に特化した高校でした。

結果的に、私は高校2年の夏に自主退学したのですが、今回のニュースを観て、学校は違えど私もかつては似たような文化の中で、自殺したいと望むほど苦しんでいた日々を思い出したのでした。

「宝塚音楽学校の学生ですか?」と聞かれたこともある制服を着て

私が高校2年生の夏まで通っていた高校は大阪にある私立の高校で、元々は阪急百貨店の社員を養成するために設立された商業高校でした。ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、宝塚音楽学校もまた大手私鉄の阪急阪神東宝グループの事業の一つです。

私がかつて通っていたその学校は、当時こそ「阪急」という名前はなくなっていましたが、教育文化的にその名残のある学校でした。(当時の)制服は宝塚音楽学校のものと酷似していたせいもあり「宝塚音楽学校の方ですか?」と聞かれたことがあります。(そう聞かれたのは、宝塚音楽学校に似たような振る舞いを公共の場で行っているような学校だったからです)

私が通っていた頃は、マーチング(楽器を演奏しながらフォーメーションを作る音楽演技)が強く、全国大会への出場回数も一度や二度ではない学校です。私はその学校に、高校2年生の夏まで在籍していました。

何を"いじめ"かが定義できない学校生活、教育文化

今となって、誰を悪者にしたい訳ではありませんが、自分がその後、公立学校教員になったこと、そして海を渡りオランダで暮らしている環境からあの時間を振り返ると、恐ろしいほど狭い視野での学校生活を生き抜いていた日々だったと感じます。

宝塚音楽学校には上級生と下級生の間に独特の教育文化(もやは教育と呼んで良いのかわかりませんが)があったと語られていましたが、私が過ごした時の状態も同じでした。「あやまり」という、上級生(当時の私たちも上級生、下級生という呼び方をしていました)に許しを乞うための儀式があり、何かミスや上級生の気に入らないことをすると、上級生の教室の前で、今か今かと出てくる時をひらすら待ち(その時を逃さないために昼食は5分で完食+休み時間を逃すと「あんたなんで休み時間来んかったん?」と迫られて、それについて謝らないといけなくなるという無限ループ突入)、話をして良いか許可をいただき、許可をもらえた場合にのみ、話をすることが許され、自分の落ち度について謝り、上級生が許してくれるまで上級生を追いかけ回すというような文化がありました(今はないことを心から望みます)。

他にも理不尽な指導(もはや指導とも言えない)はたくさんあり、細分化するると、

大会で勝てる演技をしなければいけない、観客や支えてくれる人たちのためにいい演技をしなければいけない

そのためには厳しい練習が必要

ゆるい練習やってんじゃねーよ

ゆるい練習も受け入れてしまうのは、精神が磨かれていないからでは?

その普段の態度なんなん?そこからじゃない?もっと見直せ

お前のせいで勝てないけど、どうするつもり?その責任取れるん?

というような感じで追い詰められていきます。

私が経験したそのような文化の中では「未熟な存在(多くの場合下級生)は、上級生に教えを乞う」ということが常態化されており、そのために自分を「未熟な存在」であると理解するところを出発点とし、(今思えば)たった1年〜2年早く生まれただけの人を(一定の能力において、必ず)敬わなければいけないという異常な文化が形成されていました。

「やめる」という選択肢を持たされない、最大の不自由

在籍時代には本当にさまざまなことがありましたが「学校生活を楽しい」と思ったことは一度もなかったと思います。どちらかと言うと、私が高校2年生まで学校に通い続けていたのは「それ以外の選択肢が見つからなかったから」でした。

つまり、極端に視野が狭い状態で「これしかない」という不自由さに気がつけないほど、学校生活が「学校と家庭との往復」に限られていたというのが原因です。「選択肢を持たされないこと」というのは、最大の不自由で、目の前のことに対して「これしかない」と思う(思わせる)ためには絶好の機会だということです。つまり、選択肢を持たされず、しかも「あなたが選んだことでしょう?」という発言が、実際に誰かの口から出てこなくとも理解できてしまう状況において、当事者は「自分が選んだのだから全うしなければいけない」という考え方を無意識的に強化していきます。

「これが想定できたはずなのに、あなたはそれを選んだのでしょう?」と言われる学校文化、社会は人を追い詰め、「どんな状況でもセカンドチャンスがある」という発想を抹殺します。つまり、別のところにある自分の欲求を否定し、我慢し、通い続けるか、それともそれを自ら終わらすか。そういった極論状態に陥っていきます。

私を救ってくれたのは、そういった文化を経験したことのない人

結果的に私は体調を壊し、学校に通えない不登校生徒となりました。学校に足を向かわせるたびにストレスで過呼吸になり、同級生に助けられ、何度も救急車で運ばれました。そして、そのようなことが起きる度に両親は学校に車を飛ばしてはるばる京都から迎えに来てくれていました。

「私が生きていると、多くの人を巻き込み、迷惑をかける。そんな自分に生きている価値があるのだろうか?」

高校2年生の夏、とっても辛かったあの時期、何度も自殺を考えた理由は何だったか。それは誰一人として「やめていい」と言ってくれなかったことにあります。同級生も、学校の先生も、両親も、

「こんなにしんどいなら、学校を辞めたって良い。あなたが生きていること以上に大切なことなど何もない。他に方法はいくらでもある。」

そう言ってくれた人は誰もいなかったのです。誰もが「辞められたら困る」とか「みんな同じような思いを抱えながらも頑張っている」とか「あなたはこういう学校生活だと知っていて志願したのだろう」と思っていることがわかりました。彼/彼女たちがそれを口にしなくてもそういったことを考えていると私がわかってしまうのは、

「やめてもいい」

という言葉がそれらの人たちから出てこなかったからです。誰もが「逃げるな」と思っている…ということが、たった一言が出てこないことでわかるのです。

そのような人たちを今更責める気はありません(ですが、私はどこかでそのような人間にならないようにしたい…と、自分自身に強く誓ったことは確かです)。何故なら、彼/彼女たちもまたそういった狭い価値観や特異な文化の中で、正しい判断がつかないまま生かされてきた可能性があるからです。

しかし、一方で「だから仕方ない。彼/彼女たちもまた被害者かもしれないのだ」ということが通らないことを私は、今住んでいるオランダという国で学びました。誰かが苦しんでいる、いじめられている、境地に立たされている時に、それを見てどこかで「これは間違っている」と感じているにも関わらず、自らそこに立ち向かわない人や、(自力では難しいと判断したにも関わらず)他に助けを求めることができない人を、

"bystander"(その状況下で近くに立って見ているだけの人)

と言います。そして、私はこの国で行われているいじめ防止週間において、"bystander"でいることはとても罪深いということを学びました。そして、当時の私の周囲にはこの"bystander"がたくさんいたのだということがわかりました。

※詳しくはこちらをどうぞ。

…話を戻すと、当時の状況下において唯一"bystander"であることを辞めた人、この文化を経験したことのない人から、ストレートに「生きる以外に大切な仕事などない、あなたはこの学校を辞めて生きなさい」と言われたことで、私の人生は大きく変わり始めました。そして、そのたった一人の勇気ある発言をくれた人のおかげで、私は今生きていると言っても過言ではありません。

それは、(基本)単位制に籍を置く現代文の先生で、私は彼女が口にした、
「自由を手に入れるために賢くなりなさい。遠回りした人間にしか見えない景色を見に行くというリスクを自分で請け負いなさい」という言葉で、私は「自分で自分の道を切り開く責任を自分で負うことの覚悟」を理解しました。

そして重要なのは、彼女がその学校にあった「これが当然」という文化を経験してこなかったということだったと思います。彼女の意見では「この学校は異常」であり、異常かそうでないかが問題なのではなく、異常だと判断する人には別の道があって当然ということでした。

完全包囲の先にある「悲しい選択」

私は幸運にもそういった先生に出会い、その先も「大学に合格することを全力でサポートするから一緒に走ろう」と言ってくれた塾の先生(厳密には親戚)のおかげで「居心地が悪い」と感じたところから抜け出す力をもらい、走り続けることができました。

でも、もしあの時あの先生との出会いがなかったとしたら….?考えただけで怖いですが、ひょっとしたら、いや、かなり高い確率で、私は自分の人生を終えていたのではないかと思っています。いつもポケットに入っていたカッターナイフは、私の心の叫びを表現するものだったのです。

私はその後、教師になってから高校1年生の担任として、学年で初めての中退者を出しました。「落ち込むことはない」と同僚に言われましたが、私はちっとも落ち込んでいませんでした。なぜなら、私は自分の経験を話し、ご家族から「勇気をもらった」と言われ、自分の保身ではなく、その生徒にあった道を選ぶことを心から推奨できたからです。

年間360人入学する生徒の中に「この学校が合わない」という生徒が出ることは、とても自然なことではないかと思っていました。私たちは一人ひとり異なる、人格を持った人間で、本当の意味の教育とはその人にとっての最善を考えることだと思うからです。

私たちは自分の考えの正しさを主張し、それが正しいと自分で納得したいという想いから「苦しむ人の声に耳を傾けない」という選択をすることがあります。「みんな頑張っている」その言葉が当然のごとく使われて良いと判断する時があります。

そして、悲しくも「何かが起きてから」後悔し、「どうしてあの時、やめても良いと言ってあげなかったのか」「どうして、選択を本人に委ねなかったのか」と後悔します。

今回の事件を見た時「これは私だったのかもしれない」と直感的に感じました。そして同時に、私に生きる覚悟をくれた人たちとの出会いが今の私を生かしてくれていると強く感じました。

だとしたら、少なくとも私はそういった人たちに「必ず別の選択肢がある」と真正面から言える人間でいたいと思います。大切なことが大衆の流れの中にないこともある…そう、そういうことだってあるんだよ。と。

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三島菜央<🇳🇱オランダ在住/元高等学校教諭>
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