長生きこと幸せという、方程式が崩れた、現代社会。 人生の長短より、その質、である。


今まで、長生きすることが幸せで、よしとされてきた。

そして、若死にすることが、不幸であると 言われてきた。

 でも、本当にそうだろうか? そんな歳の長短で、幸せ、不幸と、測られるほど、人間の人生は、単純ではないと思う。

結論、長短ではなく、その中身の濃さ、充実度、達した心の境地こそが、幸不幸の基準であると 思う。

それは、悲しいかな、家族がいるとか、いないとか、地位や、名誉や財産や、そういう目に見

えるものとは、全く関係ない、心の境地、一本勝負なのだ。

さて、今までは、77歳で喜寿を祝い、88で、米寿を祝い、99で 白寿を祝ってきた。

これは、大家族で生活してきたからこそ、そして、平均寿命が、50代、という短命社会だか

らこそ、長ければ良い、が生まれた、シナリオである。


 現在は、平均寿命が、80代後半にまで及び、 出生率は下がり、核家族である。

子供にも頼れず、老老介護、に直面し、介護職員も不足している 日本社会。

長く生きること=幸せ とは、単純にいかない、社会構造になってきた。


 お釈迦様は、危うく、はかない人の人生は、藤蔓にぶら下がっているようだ、と表現された。

そして、ぶら下がっている、藤の根っこは、毎日、白いネズミと、黒いネズミが かじっている、と言われた。

白いネズミは昼で、黒いネズミは夜と 解釈されているようだが、 私は、人生における、

楽しいこと、 喜び、が白いネズミ、悲しいこと、辛いことが 黒いネズミ、のように思う。

とにかく、かじられきって、蔓が切れてしまったときが、人間の死なのだ。


いつ、かじられ切るか、わからない。

ガンという、黒いネズミに突然、かじられるかもしれない。

私の従兄弟は、32歳で、急性白血病になり、たった半年で、生まれたばかりの娘をおいて、

「人生は解せない」と言って無念に亡くなっていった。それまで、風邪ひとつ引かない、元気な青年だったにも関わらず。


では、どのように生きたらいいのか?  

短命であっても、長寿であっても、幸せな人生だったと思えるように、今、この瞬間から、幸

せになってしまうことしかない。

コロナであれ、なんであれ、外の状況に関係なく、やりたいこと、これを成し遂げなかった

ら、絶対後悔するな、死に切れない、と思うことを、 今やってしまえばいいという、ことだ。


今日1日でできないことであっても、 それに近づく、第一歩は、誰でもできる。


きっと、2021年も、あっという間に過ぎていってしまうだろう。

風が吹き抜けていくように、 私たちの前を、時が駆け抜けていく。

私達を置いてきぼりにして。


ならば、時間を、自分から止めて、永遠の瞬間を、今日、作ってしまうしかない。

一心不乱に、生きたという、瞬間、時間を体験する。

あなたにとって、私は生きた!という瞬間は、何だろう。

生まれてきてよかったと思える瞬間は、どんな時だろう。


すぐにわからなくても、私は生きたという、境地を絶対享受する!  と決意して、生きることが尊いと思う。


 長く生きれば幸せ、の方程式は 崩れてしまった時代。


黒いネズミに突如、人生の命綱を、かじられ切らないうちに、時間が止まってしまった、永遠

の時を、早く、さっさと、作ってしまおう。


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