朝、瞬間の虹 を捕まえた後、瞑想の中で 降りて来た、最期の光のビジョン。




朝、起きて、外に出ると、瞬間、雨が さっと降って来て、 虹を見せてくれた。

瞬間の出来事。

何分かで、虹は消えてしまった。 瞬間でも、虹を 捕まえられたことが、嬉しいし、心洗われる。


今日一日が、また、素晴らしい気づきと、感動に出会えるような、サインの虹。

すると、その後の瞑想中、ものすごい光のビジョンが 降りて来た。

それは、私が、最後の息を引き取った後、包まれていく 光であるのがわかった。


最期の光。


その眩しい光は、暖かく包み込んでくれる 光の塊であり、心の底から、込み上げる 感動で 涙が出て来た。


それは、私たちが そこからやって来て、 還っていく 光の根源 であることが わかった。


ここに 還るだけならば、怖いものは何もない。  


私は、死を恐れることは もうないけれど、今はまだ、死にたくない。

もっと、 挑戦したり、楽しみたいことが たくさんあるから。


私が昔 付き合っていた人は、「僕はね、もう、いつ死んでも、何の後悔もないよ。 世界中行ったし、美味しいものを食べて、演奏したい人とは、全部 できた。 本当に 素晴らしい人生だったと思うから」とさらっと 言っていた。

これを聞いて、私は、凄い人だなあと、感心してしまった。まだ、40にもなってない若さで、そして、本心で言っていたし、 その人のキャリアからして、頷ける、とも思えた。 


その時の私にとって、死ぬことは、恐怖でしかなかったし、ここで死んだら、 悔やんで死に切れないわ、と 思ったのを覚えている。


今は、もう、死ぬことへの恐怖はないにしても、 死ぬ瞬間まで、自分の 命をどこまで、使い切って、輝かせ切るか、挑戦して生きたい、と 思っている。


そして、嬉しいことに、最後に、還っていく光は、私たちを とても優しく、包み込んでくれる 安住の光なのだ。 


私たちは、光から 生まれ、光に還っていくとしたら、その間の、生きている間も、命というのが、その光に、ずっと包まれているはずなんだということも、 気づかせてくれた。


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