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4年ぶりの日本、変わったこと、変わらないこと。

2018年以来の帰国。今回の旅のあれこれを忘備録的に記しておきたい。

従業員が足りない!混乱を極めるスキポール空港

5月の連休あたりから、もう完全に「コロナ禍」以前の普通の生活が戻っているオランダ。この夏は何がすごいって、これまで旅行を我慢していた人たちが一気に海外のバカンスに飛び出したのがすごかった。

スキポール空港はコロナ禍で旅行客が激減したときに大幅に従業員を削減してしまったために、急増した空港利用客に対応できず、機内に預ける荷物のチェックインやらセキュリティチェックやらは文字通り長蛇の列になり、飛行機の時間に間に合わない人が続出した。荷物を処理する職員も足りないらしく、スキポール空港では何万個ものスーツケースが置き去りになっていることが報道されたりもしていた。

私たちはパリ経由で日本に飛ぶことになっていたのだが、パリに住んでいる友人に聞いたら、シャルルドゴール空港もスキポールと同様に混乱していて、トランジットなどがうまく処理されずに置き去りになっているスーツケースが積まれているという。

手荷物だけで帰国したのは大正解だった。

私たち親子は、3人で大きなスーツケースを2つ預けるつもりだったのだが、急遽予定を変更し、機内に持ち込めるスーツケース3つだけで飛び立つことにした。家族や友達へのお土産を優先させて、自分たちの洋服と下着は3セットのみ。後は日本のユニクロで買って帰ればいいや!

この決断により、日本では液体などいろいろ買って帰れないものがあったのだが、結果的にはとても良かった。セキュリティチェックで並んだ時間は1時間半。これで機内預け荷物があれば、さらに1時間半の列に並ばなければならなかったし、長旅の後に荷物のベルトコンベヤーのところで長時間待たされることになっただろう。何より荷物が手元にあると、安心でストレスフリーだったのが有難かった。

ちなみに、スキポール空港の混乱は、9月下旬現在もまだ解決されていない。先日は同空港の最高経営責任者がとうとう辞任した。

「コロナ禍」が終わったオランダから真っ最中の日本へ


大阪の国立文楽劇場でも巨大な人形がマスクをして出迎えてくれた。


コロナ禍が過去のものになっている感があるオランダから日本に降り立つと、灼熱の中でもマスクを忘れない人々のまじめさにまず驚いた。外出時にマスクをするという習慣になかなか慣れず、私は日本滞在中のはじめのうちは、しょっちゅう家にマスクを忘れて取りに帰るという体たらくだった。

オランダでは政府が無料で実施するPCR検査はとうになくなり、のどの痛さや咳などの症状がある人は、勝手にスーパーマーケットや薬局で簡易テストのキットを買ってきて、勝手にテストをして、陽性が出たら5日間、自宅で自主隔離するのみだ。もう、1日に何人の感染者が出ているかは不明。誰も気にしていない。

大阪の電車内のマスク率ほぼ100%

一方、日本ではオミクロン株が急速に広がっていて、「今日の感染者数は全国で28万人に達しました」などと報道されている。街のいろんなクリニックや薬局で無料のPCR検査を実施していて、症状のある人については病院やクリニックで「発熱外来」として特別の時間が設けられたりしている。

重症化する人は少ないし、これだけコロナが広がってくると、一時期のように「恐ろしい」という感じはなくなっていて、オランダと同様、インフルエンザ的な扱いになっている。それでも日本では簡易テストのキットはあまり普及していなくて、処方箋を扱う薬局で薬剤師との相談の下でやっと買えた。値段は1つ1300円ほどしたので、オランダから持ってくればよかったな…と悔やまれた。オランダでは1個3ユーロ弱(400円弱)。

私は慣れない猛暑と湿気で一時期身体がだるかったので、人に会う前にちょっとコロナ検査をしたかったのだ。検査キットを見たことのない母親は、私が手慣れた様子で鼻に綿棒を突っ込んで検査薬に入れる様子をみて、なんだか知らないけれど「恐ろしい」と怖がっていた。

戦後から変わらない値段?!

日本では食い倒れの日々を過ごした。

海外から帰国してとにかく嬉しいのは、日本の美味しい食べ物だ。特に歴史的・宗教的に「食」というものに重点を置いてこなかったオランダから帰ると、その感動は何倍にも増す。しかも4年ぶりだ(涙)!その美味しさもさることながら、今回はその価格があまり変わっていないことにも驚いた。

故・安倍晋三元首相も食べに来たという大阪・天神橋の『中村屋』のコロッケは未だ80円。心なしか量が減ったような気がするが、未だにこの値段を何年も何十年も維持しているのは驚異的だ。しかも、オランダで売っているクロケット(オランダ式コロッケ。中はコンビーフみたいなのが入っている)が2ユーロ弱(約250円)で売っていることを考えると、この美味しさでこの値段、なんだか申し訳ない…。

日本でも最近は世界的なエネルギー価格の高騰を受けて物価が上がり出しているというが、ヨーロッパの比ではない。800円ランチでトンカツとご飯とみそ汁が食べられるなんて、夢のように安い世界だ。しかも美味い…。オランダでこのレベルのランチを食べようと思ったら、2500円は下らない。日本は欧米人にとって、とてつもなくお得な国に映るだろう。

羊羹を包むアルミは戦後初めて値上げされたという。

私の友人が営む大阪の和菓子屋。現在4代目で、江戸時代から伝統を守っている。昨今の物価高騰で、羊羹を包んでいるアルミ材が戦後初めて値上げされたという。戦後初めて……!その値上げ分をすぐに商品価格に転嫁できない友人にとって、その値上げはかなり痛いものだろう。しかし、戦後ずっと同じ値段を保ってきたという方が信じ難い。それはどこにしわ寄せされながら保たれてきたのだろうか?

隣人たちに変化

「スクランブルスクエア」の展望台から見た渋谷のスクランブル交差点

何十年もモノの価格が変わらない日本で、今回いちばん驚いた変化は中国人の住民が増えていることだった。

コロナ禍以降、大陸に住む中国人は海外渡航や現金持ち出しが著しく制限されているらしく、今日本に住んでいる中国人はほとんどがコロナ禍以前にすでに日本にいた人たちだろう。私は4年間日本に不在だったために、コロナ以前から起こっていた変化に今気づいている。

さいたま市に住む母の家の隣にも中国人の若いカップルが引っ越してきた。日本のマナーを学んだのか、ある晩、母のところに挨拶に来た。礼儀正しい人たちだ。私は中国に留学していた経験があるので、へたくそな中国語を披露してみたら、流暢な日本語で「さすがですね!」と返ってきた。男性はIT系、女性は化粧品会社で働いているという。マンションの周りにはいい学校がたくさんあるので、将来子どもができたときに、その教育を考えて引っ越してきたというのだ。

そんなカップルはほかにもたくさんいるらしく、近所では中国語で会話する若いカップルをたくさん見かけた。母が通う内科クリニックの先生も中国人。東京の一等地にある民泊のオーナーも中国人。

日本の不動産は、中国人から見て破格。

日本は中国の都会に比べると、不動産も破格らしく、若い中国人が日本の不動産をたくさん買っているという。銀行に勤めている知り合いと話をしたら、「最近は中国人のローンが増えている」と言っていた。しかも、3億円とか、その額がダイナミックらしい。すごいなあ、中国人の財力!

一瞬、日本はこの先、中国人の国になるのか……と思ったが、それは違う。彼らが日本の永住者や日本人になり、日本を支えていく。オランダでだって、こういうことはたくさん起きている。海外から人を惹きつけながら、国は発展していくのだ。

不便なデジタル・トランスフォーメーション

4年前に比べると日本のデジタル化も大分進んでいた。いろんなチケットの予約などがスマホでできるのは便利。

ただ、値段設定が複雑なものも多く、オランダのアプリなどに比べると、使いにくいと感じるときが多々あった。もっと値段設定などをシンプルにして、ボタンやテキストの数も少なくしないと、タダでさえデジタル操作を難しいと感じているお年寄りにはきついだろう。

テーマパークのチケットなどオンラインで購入できるのだが、値段設定が分かりにくい。

特にモノやサービスの値段設定はもっとシンプルでいいと思う。レジ袋など、大きさによって「3円」「5円」「10円」などと細かく分けている店があったが、あれはみんなの作業を煩雑にする。大きさなど大して変わらないのだから、一律5円とかでいいのではないだろうか?

スマホ契約の書類。A4で14枚、テキストがぎっしり。

スマホの通信料金設定の複雑さはその最たるもの。母のスマホ料金は、1カ月に使った通信量に応じて値段が変わる仕組みになっている上、特定アプリのオプションを付けた場合などが書いてあって複雑極まりない。

オランダなどでは1カ月のインターネット通信量「5ギガバイトで10ユーロ」など、とてもシンプル。契約書もA4の紙1枚だが、母の契約書類が14ページに及び、テキストがぎっしりと書いてあるのには閉口した。

文楽にみた、ジミ・ヘンドリックスのグルーブ

大阪では古典芸能通の友人の誘いで、文楽を見に行く機会にも恵まれた。演目は『心中天網島』。大阪の商人の家で繰り広げられる悲しい愛の物語。友人自らが書き込んだ解説付きのシナリオを事前にもらっていたので、大変よく分かり、面白かった。

商人のプライド、兄弟の絆、1人の男性を愛する2人の女性の不思議な友情……複雑で微妙でウェットなストーリーは、エモな「語り」とドラマチックな「三味線」、そして生きているかのような動きを見せる巧みな「人形遣い」によって繰り広げられる。

私は三味線の近くに座っていたので、その迫力には圧倒されてしまった。太棹の三味線で、音が太くてディープである。特にベテランの鶴澤清治さんが奏でる三味線は渋くて一味違ったカッコよさ。「三味線界のジミ・ヘンドリックス」といった感じだった。

受講料はなんと無料!ご興味のある方はチェックしてみてください。

日本はDXとかも必要かもしれないが、こういう「巧(たくみ)」の世界を最重視して、世界の変化の潮流に流されないことも一つの道なんじゃないだろうか……と考えさせられた。劇場では次世代の文楽の担い手を養成する「文楽研修生」を募集していた。日本にいたら、私は三味線を習いたい!

猛暑のなかのオアシス


広島県福山市の鞆の浦にある妙円寺


それにしても、日本の暑さは尋常じゃなくなっている。34℃、35℃が尋常になっている異常さ。オランダも温暖化が激しくなっているものの、日本のような湿気と高温のダブルパンチではない。4年ぶりの暑さに慣れるには少々時間がかかった。

しかし、そんな中でも広島県の海辺の鞆の浦や、静岡県の天竜川上流に足を延ばしたときは、明らかに空気の違いを感じた。暑くても、最終的にそれが吸収されている気持ちよさがあり、逃げ場のない空気がもわもわとべたべたと肌にまとわりついている感じはない。

静岡県の天竜川上流・阿多古川

特に天竜川の水は凍るように冷たくて、汗だくになってバーベキューを焼いた後、足をつけるだけですぐに汗が引いた。岩に座ってしばらく「ニクセン」した。緑を吹き抜ける風も涼しくてやさしい。

都会は文化的で刺激的で楽しいけれど、自然の素晴らしさと面白さにはかなわないと、みんな気付き始めている。「コロナ禍」でリモートワークが可能になって、自然豊かな地域に引っ越す人も増えたと聞く。これからはこの動きがもっと加速するんじゃないかと思う。

鞆の浦の酒屋。歴史ある「保命酒」が有名

家族にも押し寄せる高齢化の波

「大きくなったねえ!」
ティーンエイジャーの息子2人は、家族や友達に会うたびに驚かれたが、同じスピードで私たちも年を取っている。特に、家族や親戚には後期高齢者が増え、ある叔父は膝を痛めてカニが直進しているような歩き方になっているし、別の叔父は片目がほとんど見えなくなっている。

81歳の母は背中の上の方が曲がってしまい、明らかに小さくなった。相変わらず元気で、おしゃれで、年よりも若く見えるが、後ろから見る姿は、容赦ない時の流れを示していた。

今回、5週間におよぶ私たちの日本滞在中、大阪、広島、浜松……と、すべての行程をともに過ごしたし、その間に子供たちとともにテーマパークやら東京スカイツリーやらバーベキューやらも一緒に楽しんだ。50代の私にもしんどい旅程をよく着いてきたな、と思う。

そんなハードな日々がたたり、母は私たちの滞在最終日近く、救急車で運ばれてしまった。近所の銭湯から帰った後、心臓の鼓動が急速に激しくなり、胸苦しく、意識が遠のきそうになったのだ。幸い、病院で診療を受けて落ち着きを取り戻し、母はすぐに自宅に帰ることができた。もともと不整脈があったのだが、きっと疲労がたまっていたのだろう。

それからまもなく私たちは後ろ髪をひかれる思いで日本を発った。子供たちの学校も再開するので仕方がない。母は自分で自分のことができる限り、一人暮らしを続けたいと言っているが、それもあと何年のことだろうか。若い時は何も考えずに海外に飛び出してしまった。こういうとき、近くにいてあげられないのが悔やまれる。

父の墓がある妙円寺

母には少なくともあと5年は元気でいてほしいと思う。そうすれば、子どもは16歳と20歳になり、私は大分身軽に動けるようになる。願わくば10年ぐらい元気でいてほしい。その時、私は日本とオランダで2拠点生活をしたいなあ。そして将来は自然の豊かなところに拠点を置いて、ときどき大阪に出てきて三味線を習う――そんなことを考えながら、夏の終わりを過ごしていた。



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