冷えたドラゴン
オランダ南部の街で開かれた「ダッチ・デザイン・ウィーク(DDW)」のメイン会場の1つ、「ストライプS(Strijp-S)」というエリアでは、大きな広場で焚火が炊かれていた。10月下旬の秋晴れで、わりと温かい一日だったが、火の周りは自然と人が集まって、何となく和やかな雰囲気になるものだ。
息子と私も焚火の傍らで、何をすることもなく、勢いよく燃える火や次第に白黒になる薪を眺めながら立っていた。すると、ひょろっと背が高く、いかにもアーティストといったオーバーオールの作業着を着た中年の男性が、粘土で作ったドラゴンのオブジェを鉄製の長い棒でつかんで、その薪の奥に差し込んだ。陶器を焼くのだ。
私はその男性に話しかけてみた。
「どのぐらい焼くんですか?」
「1時間はかかるだろうね。温度が1000度ぐらいまで上がらないとだめなんですよ。陶器が赤くなってきたら、それを火から取り出して、この水に付けると、スペクタクルな光景が見られますよ」
息子と私はぶらぶらしながら、1時間後に戻ってきた。
しかし、陶器はまだ十分に焼けていないらしかった。
男性に尋ねると、
「あと1時間はかかりそうですね。焚火だと、なかなか思ったような温度に上がらないんですよね」
「あと1時間か……」
「あと1時間で取り出すことにします。今から1時間だから、3時半。あなたたち、まだ時間ある?」
私と息子は相談して、
「あと1時間だったら、また戻ってきますよ。3時半ですね!」
「あなたたちのために、3時半にはやりましょう!」
「ありがとうございます。じゃあ、1時間後に!」
息子と私はまず、売店に行って、カプチーノとホットチョコレートを買い、
日向のベンチに座ってゆっくり飲んだ。
これぞニクセン(Niksen=オランダ語で「何もしない」という意味)。
ゆっくり飲んでも、まだ45分ほどある。
私は近くにあったカード専門のポップアップストアを覗いた。
かわいくてセンスのいいカードがいっぱいで、ついつい長居してしまう。
息子は即座に飽きて、店の外で私を待っていた。
「遅すぎる!もう2時間もムダにした!」
「ごめん、ごめん……でも、2時間じゃないよ。ほんの15分ぐらいじゃないの!」
まだ30分ほど時間があるので、息子と私は近くの展示場で、いろいろなデザインの展示を見学した。息子は幸い、「mini」の開発している新世代の自動車に興味を持った。未来の車は自動運転で運転席がなくなるので、車内は広く使えて、リラックスできる応接室みたいな空間になっている。
そうこうしているうちに、3時10分ぐらいになった。約束の3時半までまだ20分ある。
「ねえ、トイレに行ってもいい?」
「もう焚火のところに行かないと!」
「でもまだ20分もあるよ」
「じゃあ早く行ってきて!」
私は急いでトイレに行き、その後は速やかに2人で焚火に向かった。
すると、なんだか焚火の付近にはたくさんの人が集まっていて、モクモクと白い煙が漂っている。
近寄ってみると、さっきのオーバーオールの男性が、すでに作業を終えたような様子。
時計を見ると、3時20分。
2時間ほど熱々に焼けた「ドラゴン」は、水で冷やされた後、白い煙を出しながら地面に横たわっていた。
息子は怒ったように、すたすたとその場を後にした。
追いかけていって息子の背中を触ると、息子はそれを振り払った。
「ごめんね!」
「ママがトイレに行くからだよう!」
「でも、まだ約束の3時半になっていないんだよ!ママ、あのおじさんにひと言言ってくる!」
私は焚火のところに行って、青いオーバーオールの男性に言った。
「私たち戻ってきたのに、もう終わっちゃったんですか!」
「ああ……もう、あなたたち来ないかと思った……」
「だって、まだ3時半になっていないじゃない!」
私はスマホの時計を見せた。
男性は「しまった…!」というような感じで、こう言った。
「あなたたちのために、何かしますよ。ちょっと待ってて!」
と言って、小屋から別のドラゴンを持ってきて、焚火の中に入れた。
私は少し離れたところにいた息子を呼んだ。
「もう一回、何かやってくれるって!」
息子はしぶしぶ焚火の傍らにやってきた。
5分ほどすると、男性は鉄製の道具でドラゴンを火から取り出し、それを水の中に入れた。
シュッ。
5分間焼いただけでも、ちょっとだけ音と煙を立てたが、それはものすごくショボいショーだった。
「こんな感じなんです。時間をかけて焼くと、これがもっとジューっとなるんですよ」
息子は少し納得したようにうなずいた。
私は礼を言って、その場を立ち去った。
帰り道、息子は怒ったように自転車を飛ばした。
私は必至で自転車を漕いで、息子の背中を追いかけた。
どうして待っていてくれなかったんだろう……。
どうしてトイレに行っちゃったんだろう……。
起こってしまったことは仕方がないけれど、2時間という、子供には永遠とも思われる時間を費やした後、息子をがっかりさせてしまって、私は悔しくて、やるせない思いでいっぱいだった。
家に帰って、息子は部屋で一人、泣いていたようだった。
仕方がない。人生には思い通りにならないことが結構あるものだ。
私は気を取り直して、その晩は息子の好きなメンチカツを作ることにした。